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「自衛隊の『旧軍隊』への回帰と九条の闘いの視点」(1)09/02/23

 

「自衛隊の『旧軍隊』への回帰と九条の闘いの視点」(2)

 

「自衛隊の『旧軍隊』への回帰と九条の闘いの視点」(3)

 

「自衛隊の『旧軍隊』への回帰と九条の闘いの視点」(4)

 


 

前田哲男氏(軍事ジャーナリスト・評論家)/「自衛隊の『旧軍隊』への回帰と九条の闘いの視点」—歯止めなく暴走する自衛隊をどう変えていけるのか—


 
全4回連載

 

 

              自衛隊の『旧軍隊』への回帰と九条の闘いの視点」

 

                 —歯止めなく暴走する自衛隊をどう変えていけるのか—

 

 

                      講師 前田哲男氏(軍事ジャーナリスト・評論家)

 

 ご紹介いただきました前田哲男でございます。

 

 今日の集会は、おそらくあの田母神発言、論文に触発されて、その危機感から企画されたのだと思われます。タイトルも「旧軍隊への回帰と九条の闘い」という状況告発的な視点とこれからの運動の展望をどう構築していくかという両方の側面があるように思います。

 

 田母神論文そのものについては皆さんももうご存知ですし、いろんな論点がメディアでも示されました。

 

■「田母神問題」の根源

 

 私は、田母神航空幕僚長の発言に発する一連の動きを、「田母神論文」「田母神事件」「田母神問題」という三つの側面から考えています。今日お話するのは最後の「田母神問題」が中心になろうかと思います。

 

 田母神論文に関しては、報道されたとおり、いろんな問題点、史実誤読が既に提起されています。あれは論文じゃない、引用だけのパッチワークみたいなものだ。こんなものを大学生が書いても受けつけられない、という形式の問題があります。田母神論文は大学生得意の「コピペ」(コピーと貼り付け)という指摘、たしかにそう思います。

 

 内容に関しても、歴史学者・秦郁彦さんのような、体制寄りといわれているような方でも、これはお粗末、間違いだらけという言い方をされています。歴史学者の評価はすべて内容に関して真面目な論評に値しないという見方で一致しているように思います。

 

 もう一つの側面、「田母神事件」は、この田母神論文に発した波紋ということになるでしょう。防衛省のその後の対応などです。

 

 田母神空将の退職は「依願」でした。防衛省は懲戒処分も、調査も、査問も行わずに定年退職という手続きで田母神氏を隊外に出した。臭いものにふたをするような形で処理してしまったのです。こうした防衛省の処分のあり方をめぐる問題があります。航空幕僚長の地位は閣議承認人事であるので、当然、政府の政策や歴史認識に拘束される。首相、防衛大臣も任命権者として言動に責任を持つ。それがなされなかった。

 

 彼が確信犯であることは、参議院の安保外交委員会に参考人として招致されて、そこでまた持論を繰り返し、反省を示さなかったことでも明らかです。にもかかわらず、個人の言動として処理してしまった。文民統制が機能しなかったということになる。

 

 また、田母神論文に対して自民党の国防族やメディアの一部から、「あれは言論の自由の範囲内である。むしろ村山談話の方がおかしいのだ」という発言もありました。そうしたその後の波紋も含めて田母神事件というふうに呼んでいいのではないかと考えます。

 

 それらを受けて、これから考えていかなくてはならない「田母神問題」があります。

 

 自衛隊をどうするか、軍と政治の関係、シビル・ミリタリー・リレーション、軍政関係とか文民統制という言葉でいわれる、実力集団、武器管理集団をどう統制していくのか、とりわけ自衛隊は憲法問題という古い長い問題がある。そういうものとの脈絡を考えて、この武装集団をどのように管理していくのかという問題があろうかと思います。

 

 その意味で田母神問題は、孤立した一事象でないと同時に一過性の出来事でもない、まだ湯気が立っている出来事であり、かつこれから深く論じていかなければならない問題であると考えます。

 

 その三番目の問題意識にたって、田母神さんの発したことをいろいろ考えていこうと思います。

 

この一年の「反国民的行為」の流れ

 

 孤立した出来事でも一過性の事象でもないと申しましたけれども、ここ一年ぐらいの自衛隊をめぐる動きを見て、自衛隊という組織は内部からいろいろな問題が吹きだしている、「組織のすさみ」と言っていい現象をいくつも見ることができます。

 

 久馬防衛大臣が「原爆投下はしょうがなかった」と放言して辞任しました(07年7月)。事務方のトップ、守屋武昌防衛次官の汚職問題(07年8月退官)もありました。

 

 国民との関係で見ると、昨年の6月に陸上自衛隊・東北地方隊の情報保全隊が市民運動を監視していた、集会に潜入・盗聴・盗撮していたという事件が起こりました。イラク派遣自衛隊の第1陣が東北方面隊から出たこともあって、それに対する地域世論の動向を監視していたのです(07年6月発覚)。

 

 それは東北方面隊ばかりでなくて、東京の陸上幕僚監部を経由して全国の情報保全隊が、北海道から沖縄までさまざまな形で市民運動を監視し、それに「反自衛隊活動」とか「反自衛隊集団」という名称をつけて、全国の部隊に回覧していたという広がりにも発展しました。

 

 明らかに市民監視であり憲法違反の行為であったわけですが、処罰は行われませんでした。開かれた集会に対し、私服の自衛官が入ってきて録音・撮影し、かつ一方的な評価を下していたのです。私の名前は出ていませんでしたが、友人のジャーナリストたちが「反自衛隊」というレッテルを貼られました。私はその前から貼られていますから改めて問題にされることがなかったのかもしれません。

 

 また、ほぼ同じ時期(07年5月)、沖縄で、普天間基地の移転にともなう新しい基地の建設が予定されている名護市の辺野古崎の海で、国が行う環境評価調査を阻止しようと反対派の人たちが集まっている、その調査活動を支援するため海上自衛隊の掃海母艦が出動して、水中要員が観測機器を設置するということが起こりました。米軍基地の建設のために自衛隊が出動するのは、自衛隊法の条文から見ても根拠をもち得ない。自衛隊の任務にない出動形態です。そのような掃海母艦の派遣が行われた(結局、「国家行政組織法」に基づく「省庁間協力」であると説明されました)。いずれの出来事も発覚時期は安倍内閣の時代です。「情報保全隊事件」は、小泉内閣のときのイラク派兵に始まり、続いてきたことです。

 

 同じく、昨年大きく話題になった陸上自衛隊制服出身の佐藤正久議員の発言があります。(07年8月)参議院議員に当選したばかりの時期、TBSのインタビューに答えて、彼がイラク派遣隊の先遣隊指揮官としてイラク体験を語る中で、自衛隊には武器の行使、武器の使用の権限は与えられていないし、軍隊としても交戦基準もないわけだけれども、もし可能であれば「駆けつけ警護」という名目で行動することを予期し、考えていた、と語りました。「駆けつけ警護を」。自衛隊派遣部隊が武力を行使して他国の要員を救出する任務ですが、「イラク派遣特措法」にそのような武器使用はありませんし、また「PKO協力法」以降海外に出た自衛隊すべて、それは「できない」とされてきました。

 

 佐藤議員はそれを知りつつ、しかし、状況が切迫して判断せざるを得ない状況が起きたならば、私はそれをやるつもりだった、といういい方をしたわけです。これは後でお話する、昭和初期の軍ファシズム運動が行った「独断専行」の論理と重なり合うものを持っている。「居留民保護」という名の「駆けつけ警護」の再現です。当時そこまで議論が深められなかったのは残念ですが、しかし法律家やジャーナリストを中心に佐藤議員の発言を糾弾する集会が何度も開かれました。

 

 こういう、昨年起こったいくつかの出来事の中に田母神論文を置いてみると、そんなに異常なことではないとわかる。一連の流れの中で起きたことで、決して突出した、田母神さんが異様な個性を持った人物だから今回の事件が起きたのだということではない。自衛隊の土壌のなかに定着しつつある雰囲気の中から出てきたものであろう、と把握できるかと思います。

 

 今年出版された『不安な兵士達 ニッポン自衛隊研究』という本があります(原書房08年3月)。著者はサビーネ・フリューシュトゥックというオーストリア出身の社会学者で、カリフォルニア大学で歴史学の教授をしている人です。多くの制服の自衛隊員と面談してまとめた、こちらは「田母神論文」とはちがい本物の学術論文です。

 

 彼女は防衛省の内局を通して基地の中に入り、多くの自衛官と面談して、自衛隊員の意識分析を行っています。その中に「皇軍兵士の影」という節があって、自衛隊の中における今日のタイトルの前半のようなもののありかをさぐっております。

 

「皇軍兵士の影」の書き出しの部分は、

 

 「旧日本軍(皇軍)を発祥とする自衛隊のルーツに関する議論は、ひっそりとではあるが根強く続いている。自衛隊員は好むと好まざるとに拘らず、この議論に参加せざるを得ない。なぜならば皇軍との本質的な関係が隊員の男らしさや彼らの自尊心に影響し、日本という国や組織としての自衛隊との自らの関係をどう保つか、日本社会における自らの役割をどう捉えるか、などを左右するからだ。」

 

ということから始めています。

 

 いろいろな人のインタビューが紹介されていますが、そうしたものを紹介しつつ、こうサビーネ・フリューシュトゥックは書いています。

 

 「自衛隊員はまた皇軍を悪者にすることで関係を断とうとする一方、隊員が共感し誇れるような軍の伝統を再生し、連綿と続く歴史を再構築したいという願望との間に葛藤しており、こうした葛藤が自衛隊と皇軍観との関係を象徴している」

 

 まさしく今回の事件を言い当てたような文章です。

 

 「また自衛官の中に『新しい歴史教科書を作る会』にかかわる者がいたり、永久戦犯の霊が祀られている靖国神社へ参拝する者がいたり、三島由紀夫を崇拝し右翼とつながりを持つ者がいる。」とも言っています。

 

 これはごく新しい今の自衛隊の内部観察に基づく報告であるわけですが、なかなか私なんかがこういう取材といいますか、調査を行うことはできない。彼女は外国人であるという特権と、学者の研究という目的で特に許されたのであろうと思います。

 

 たまたま今年出版された、したがってごく新しい自衛隊の内情報告の一端が、田母神発言を裏づけするような風土が自衛隊の中になお色濃く、葛藤として残っている。である以上、すべてが田母神的な人ではなく、旧軍との断絶を自らの存在理由にする隊員ももちろんいるだろうけれど、そうではない人物がたくさんいることを明らかにしています。

 

 もう60数年経つというのに依然としてこういう歴史の連続性が呼び返されている。田母神さんはそれを美化し、正当化するような解釈を行い、かつ「統合幕僚学校長」として幹部自衛官にそれを学ばせるということをやったわけですから、影響力はずっと大きいということになるでしょう。

 

 『不安な兵士たち』を読んですぐ思い出したことがあります。『軍事研究』という雑誌の1970年12月号です。11月25日に三島由紀夫が自衛隊・市ケ谷駐屯地に乱入・自決しました。この雑誌の12月号を編集しているときに、まだ、その出来事は起きていませんでした。なぜそういうことをいうかといえば、この70年12月号の「軍事研究」に、「防衛大学校生徒心理テスト集」というアンケートが掲載されているからです。防衛大学校の上田修一郎助教授が防大1年生と防大4年生、18期100人と15期100人、合わせると200人ぐらいの自分の学生に、記名アンケートを求めたのです。

 

 18期が1年生で15期が4年生です。田母神氏は15期で、このアンケートの4年生に該当します。このアンケート100人の中に田母神さんの名前を見つけようとしたのですが、ありませんでした。アンケートに記入していなかったのです。しかし田母神氏と同期の1971年卒業、従って1970年度には4学年であった彼らがどういう意識をしていたかということを垣間見ることが出来るだろうと思います。

全員実名で書いていて、将来の希望・尊敬する人物・感銘を受けた本・恋人・趣味・スポーツ・総理大臣への希望、などの項目があります。

 

 総理大臣への希望—— 鬼畜米英に惑わされるな、憲法改正、というのがあります。

 

 尊敬する人物にアドルフ・ヒットラーというのを挙げているのが5人ぐらいいます。三島由紀夫を尊敬している人も5人か6人います。三島事件はまだ起こっていない、直前ではありますが、その気配もありませんでした。学生たちは彼の『文化防衛論』であるとか『憂国』なんか、晩年の三島思想に感化されていたと思いますが、尊敬する人物に三島を挙げている学生は多い。

 

 総理大臣への希望—— 現憲法停止、ベトナム派兵、国防軍の創設、治安維持法の制定。この人が尊敬する人物は三島由紀夫、アドルフ・ヒットラーです。

 

 ある学生が感銘を受けた本—— 『奔馬』、『豊饒の海』の第2部でありますが、『文化防衛論』、『美しい星』、『英霊の声』、全部、三島作品ですね。

 

 またある人は、防衛庁の国防省昇格、選抜徴兵制実施、士官の佩刀許可。士官が刀を帯びることを許可せよというようなことを書いています。

 

 総理大臣への希望—— 憲法九条を改正し自衛隊の存在を明文化してもらいたい。

 

 というような具合です。(つづく)

 

(この講演録は08年11月30日 主催「マスコミ・文化九条の会 所沢」が行った緊急学習会のものです)