小中陽太郎/作家・ジャーナリスト/屈辱の歴史に抵抗した人々 -東京地裁103号法廷でー10/01/05

 

 

 

 

 

 

     屈辱の歴史に抵抗した人々 

 

-東京地裁103号法廷でー

 

 

小中陽太郎 (作家)

 

 

 

 明けましておめでとうございます。


昨年末沖縄密約情報開示の裁判に原告団の一人として参加、西山太吉記者のお隣で、元吉野局長の証言を聞き、感動もし、憤激もしました。弁護団は、情報公開法一点に絞り勝訴のゴールまっしぐら、サポーターとしては、笛吹いたり、人間性に思いを馳せたり、率直に書かせてもらいました(しんぶん赤旗掲載 12月11日)。
そして西山さんの半生に脱帽。


趣旨はあくまで、批判すべきはアメリカ政府(情報公開ぐらいで拍手してはならない)、しかし兵士は連帯できるはず、というベトナム戦争の経験です。新年に桂 敬一兄の「年頭に思う 迫られる『アメリカに負けた日本』からの脱却」に接し、わたしも及ばずながら昨年の拙稿をお読みいただきたく、転載します。彼のつくように日本政府のアメリカ追随は恥ずかしい限りですが、それによりかかるアメリカも道義性皆無のマヌーバーというのが、わたしの感想です。 

 

2010年1月1日。
小中陽太郎(作家)

 

 

屈辱の歴史に抵抗した人々 -東京地裁103号法廷でー

 

 

09年12月1日東京地裁103号法廷。そこで繰り広げられたのは、沖縄を間に、アメリカが日本に押しつけた屈辱の歴史と、それに抵抗した人間たちの物語であった。


 わたしたちは、あのとき沖縄を見捨て、西山を放り出した。その償いにわたしはここにいる。あるワシントン特派員は「メディアの敗北」(名古屋テレビの番組名)とまで呼んでいる(金平茂紀)。


  弁護団長の清水英夫を先頭に外務省へ「沖縄密約文書」情報開示の請求にいったのは08年9月3日だったから、あれから1年たつ。あの日、最高裁は西山の賠償請求を「20年の除斥期間を過ぎている」と棄却した。米情報公開でさえ30年かかる、それを20年で除斥とは。


  1971年12月7日、旧知の北岡和義(当時衆議院議員秘書)は、毎日新聞 西山記者の入手した一通の秘密電報を衆議院質問にゆだねた。そこには沖縄返還回復補償費として日本側は400万ドル払うと書かれていた。(その後額は3億2千万万ドルにふくれあがり、元外務省アメリカ局長の吉野文六の証言では諜報機関VOAの移転費用まで払わされていた)。宛先名から出所がわかった。わたしがなぜ宛先をのこしたかと問うと、北岡は、宛名を切り取ったら政府は、怪文書と無視したろう、と説明した。政府は、怪文書とするかわりに西山と事務官を公務員守秘義務違反で起訴、存在しないものを漏洩してどうして罪に問われるのか。


  司馬遼太郎が激怒したように、入手手段を問題にするまったく本筋ではない言いがかりにより、世論は一変した。わが身を切るようにして書いた澤地久枝の「密約」を見れば当時の女性バッシングのすさまじさがわかる。そのことで世論も責任がある、とわたしはおもう。ただし今度の訴訟で弁護団は、「この問題を西山事件から切り話すことにしました。」(小町谷育子)。そして沖縄からの原告代理人は、問うべきは「当事者の立場にありながら、情報から疎外され、決定の場から排除される構造」(岡島実)、新崎盛暉は普天間基地移転はこの繰り返しと指摘している。


  20年後琉球大我部政明教授は、「ユスカー文書」に吉野スナイダー調印文書を発見した。「ユスカー」の名は、わたしたちがべ平連といわれる運動を始める前、小田実からおしえられた。それは、正式名アメリカ民政府、実態は陸軍省である。


  91歳になった吉野局長は、「歴史の歪曲は外交の為にならない」と決意、「あのとき文書はスナイダー公使が持参、わたしが署名し、スナイダーが正本はもちかえった」、とはっきり証言した。退廷の際、わたしは西山のとなりにいた。吉野は小さく手をのばした。


  わたしはその刹那、真に恥ずべきはアメリカ政府だ、とおもった。巨大な軍事力を持ちながら「財政難のせいで」(吉野)、アメリカの議会と沖縄県民はじめ日本国民全部を欺いた。情報公開法ぐらいで許すことは出来ない。
11月8日、宜野湾の県民大会の夜、40年ぶりに嘉手納基地ゲートにたたずんだ。
帰営時間でつぎつぎに基地に駆け込む兵士の背中に小声でレノンのうたをうたった。40年前そう歌ったら本当に彼ら(脱走兵)は来た。


「ハッピークリスマス・ジョイン・アス」。

 

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2010archives

18屈辱の歴史に抵抗した人々 -東京地裁103号法廷でー10/01/05

 

 

 

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