前田哲男氏(軍事ジャーナリスト・評論家)/「自衛隊の『旧軍隊』への回帰と九条の闘いの視点」—歯止めなく暴走する自衛隊をどう変えていけるのか—09/02/23


全4回連載

 

 

               「自衛隊の『旧軍隊』への回帰と九条の闘いの視点」(4)

 

                 —歯止めなく暴走する自衛隊をどう変えていけるのか—

 

 

                      講師 前田哲男氏(軍事ジャーナリスト・評論家)

 

 田母神問題で露呈した自衛隊のあり方の不健全性、日米関係における危険な動向、それを非難するだけでなしに、また旧軍隊へ回帰しようとするような動きを警告するだけでなく、自衛隊を変えていくには、どのような視点が必要になってくるのか。非難と否定だけでは何も変わるわけではない。変えていく力を結集しなければならない。

 

 求められているのは対抗構想です。自衛隊をどうするか、という対抗政策です。全否定しても意味のないことです。出来もしないわけですから。

 

 憲法違反だから自衛隊を否定するといっても何にも変わらない。逆に自分が変わらざるを得ない。連立政権(1994〜96)の首相になった村山さんがそうでした。村山さんは変節したのでもなんでもない。法治国家においてあれ以外取りようがない。せめて社会党が政策協定を結んで村山さんを官邸に送り込んでいたら、もう少し手だてが出来たに違いないけれど、それもない。丸腰で入っていってしまって、自衛隊は九条に違反しますといった瞬間に何も出来なくなる。法治国家において違憲であるということは違法であるということで、違法のものに手を貸すことは自らが違法になるという、そうならざるを得ない。

 

 自衛隊は警察予備隊、保安隊から数えるともうすでに60年以上存在してきた。今は海の外までいっている。やがて交戦権を与えろという声もある。そういう中で田母神問題が噴き出たわけです。であれば、ますます対抗構想としての自衛隊をどう変えていくかを打ち出さなければならないと思います。

 

■「平和基本法」は憲法理念と現実に「橋を架ける」試み

 

 来年早々にでも総選挙があるのならば、その総選挙で対抗構想を、野党共通の安全保障政策を掲げて勝利する。オバマが「チェンジ」と言ったように、「自衛隊チェンジ」という共通の政策、スローガンを掲げて勝てば、米軍再編を止めると言えます。思いやり予算を止めると言えます。それは我々の民意ですから。オバマがイラクから撤収させると言ったように、我々は思いやり予算を止めよう、米軍再編凍結、自衛隊の縮小再編に向けた第一歩を踏み出す、こういったことを共通の政策として、マニフェストといってもいいし、政策協定といってもいいし、採択し、掲げ、それによって選挙に勝つ。

 

 アメリカといえどもそれは駄目だということはできない。不愉快な思いはするでしょうけれども、できないです。イラクに派遣したスペインが、総選挙で撤収を掲げて勝利し、公約どおりに全部引き上げました。イタリアもそうでした。フィリピンは総選挙ではないけれども、カット。アメリカは不愉快ではあるが、何も言えませんでした。ドイツとフランスはそれ以前に、そもそも派遣しませんでした。そういうこともできるのです。日本がやらなかっただけの話です。

 

 いま、すごくいいタイミングで政権交替が現実のものとして、手の届くところに来ています。こいう時に実行可能な対抗構想を提起し「もう一つの選択肢」として、選挙公約=マニフェストにかかげ、有権者に「目に見えるオールタナティブ(選択肢)」として示さなければならないと思います。そこでは「九条の理念」を永遠の真理として説くのではなく、「明日の政策」のかたちに表わすことが必要になります。

 

 その時に自衛隊をどう変えていくか、日米関係をどう展望するかということを具体的な争点にしてマニフェスト、政策協定として国民に選択してもらう。もう一つの選択肢を、国民に提案してそれを選び取ってもらう。そこで勝てば村山さんの時とは全く違う、もっと強いものになる。

 

 そうした視点から田母神問題を克服し、発展させていかなければならないだろうと思います。望むこととできること、為すべきことと為しうること、それを分ける、弁別する能力を我々は身につけなければならない。自衛隊は存在してならないものであるかもしれないけれども、もう60年間存在し続けてきた。二世代、やがて三世代になろうとしている。それを一回の選挙でゼロにすることはとても出来ない。世論が自衛隊を包囲したとしても、たぶん出来ない。財政的に、技術的にもどうするかということもあります。また自衛隊の中には田母神氏みたいな者が1%いたとしても、2,500人です。0.1%でも250人です。バズーカ砲を持った250人です。機関銃を持っていますから、そういうことも考えておく必要があります。

 

 これまで自民党が安保と自衛隊を推進育成してきましたが、我々はそれとは違う安全保障の考えを掲げながら、選挙でもう一つの選択肢を選び取ってもらうように努力すべきでしょう。それが対抗構想になるだろうと思います。

 

 そこで、レジュメに書いたように、安全保障という考え方を、イコール軍備、国防、軍隊というような19世紀以来の古い考え方をやめようということです。それがゼロとは言わない、けれどももっともっと大きく広く深刻な問題があるじゃないか。

 

 この前の洞爺湖サミットだって、あそこに集まった首脳たちが、一番何に時間を費やしたか。CO2がもたらす地球温暖化とか炭酸ガスの異常な増殖が生み出す安全保障上の脅威、と言いませんでしたか。サミットの共同声明には一番大きな事としてそれが盛り込まれなかったでしょうか。環境が安全保障の対象という、ナポレオンが見たら腰を抜かすような、誰も考えなかったような事態が、今、起こっている。エネルギー、食糧だって、いまや安全保障と一体となってエネルギー安全保障、食糧安全保障と誰もが言っています。もはや国防、国家・国境・軍隊、国防同盟国、共同防衛というような単線的な関係で語るような安全保障観はない。ゼロになったわけではないけれども、軍隊ですむものではなくなった。

 

 いま一番の関心事は国際的な経済協力でしょう。金融安全保障、そんな言葉があるのかどうか知りませんが、ヘッジファンドなどによる野放図な金融をはびこらせた結果が100年に一度といわれる不況に陥っている。資本主義のアナーキーな状態をコントロールする国際協力をやろう。これから来年前半はそのための努力でしょう。成功すれば金融不況は収まるし、成功できなければもっと不況は酷くなるかもしれない。これも広い、大きい意味の安全保障です。もっと大きな安全保障の要件がある。

 

 そう考えると日本国憲法はすごくよくできた、先を見通した、洞察したつくりになっている。いまこそ新しいという言い方ができる。前世紀までちょっと窮屈であったのは事実です。制定後、東西冷戦という国際情勢が起こって、憲法の現実適用性が曇らされたけれども、冷戦が終わり、21世紀になってみれば、先見性が明らかになった。

 

 一つは既にヨーロッパでEUとして発足している「共通の安全保障」にもとづく国家連合です。まだ国家という単位を残しているものの国境は実質的に消えた。通貨が一つになった。議会も一つにした。国家主権は27の国が分有しているけれど、お金とか国境の往来に関してはもうヨーロッパは一つになった。EUで行われている「共通の外交・安全保障政策」は、日本国憲法前文にいう「諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」の具現化だともいえます。理想でも、空想でも、夢想でもない、ヨーロッパ大半における現実です。日本はそれを1946年に憲法の中に書き込んだわけですから、憲法が古くなったという方がおかしなことだと思います。

 

 もう一つは「人間の安全保障」、これはこれからの課題です。

 

 主権国家が国際社会の主体であるという現実は否定できません。だからEUも「共通の安全保障」、コモン・セキュリティーという形で国家の垣根を低くしていくという段階です。次のステップが「人間の安全保障」で、これはまさしく国家を超えるものとして位置付けられています。

 

 「人間の安全保障」は、国家間でなく、個人あるいはある階層に存在する貧困、差別・格差など構造的な社会の実態に着目します。病い、貧困、独裁的な政治下の人権、また新聞がない、世論がないような状態。こうした「構造的暴力」が争いの原因となり、安全保障を阻害しているという考え方です。北朝鮮の国家そのものが敵であるのではなく、またソマリヤの場合も、貧しさ、不平等、抑圧が安全保障の阻害要因ということになります。そういう人々をなくすことが対象になる。原因を除去することによって、紛争が起こらない、紛争のない国際環境を作っていこう。従って「人間の安全保障」は、国家・国境というものを超越したところから発想される。

 

 それは私たちの憲法が「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」の実践です。憲法前文のこのくだりはいま、「人間の安全保障」という言葉で表されています。日本はそれを1946年に宣言した。実行できなかったのは残念ですが、少なくとも、先に登録したことだけは間違いない。

 

 このような先見性とすばらしい内容の憲法を、いま、ただ持つというのではなくて、具体的な政策にし、対抗構想としてそれを担う政権の手に渡して実行していく。それが護憲運動の今後めざすべき方向でしょう。

 

 九条を変えさせないという国民意識は、世論調査にみる限りほぼ定着した。だとすれば、今度は実行させていく。62年のなし崩し既成事実化の歴史を逆転させていくプロセスを始めなければならない。パソコンのように削除キーで一括消去できない現実だから、少しずつ、10年か15年かけて取りかかる。そのための計画、とりあえず何をするか、その次に何をするか。最終的にこうするという、国内政策を提示することであり、また中国、朝鮮半島、東南アジアとどのようにアジア版「共通の安全保障」の条件を築いていくか、という政策提起でもあるかと思います。

 

 それが「平和基本法」のような法律によって行われなければならない。それによって方向付けを行う。対抗構想の大きな柱を立てる。それは憲法九条に命を吹き込む「積極的護憲」への転換で、私はそれをいろいろな形でずっと主張し続けてきました。

 

 93年に雑誌「世界」で「平和基本法を提唱する」という共同提言が何人かの学者、研究者でなされた時にも加わりましたし、05年に「再び平和基本法を提唱する」という雑誌「世界」の共同提言にも加わりました。最初のころはあまり評判がよくなかった。あいつは自衛隊を容認する立場だという、あらぬ疑いをかけられて困惑したこともありました。しかし、こういう過渡期を経ないで自衛隊をなくすことは不可能です。国民が望んでいないから選挙に勝てない。ということは政権が取れないということになる。国民を説得し、選挙に勝つ。政治の主導権を持った上で実行する政策、対抗構想でなければ有効でないことは明瞭です。

 

 アメリカのオバマ新大統領は、いろいろな意味でこれまでになかった面をもっています。対日政策が即座に変わるとは思いません。たぶん対日政策は変えないと思います。経済政策やのイラク問題に対処するために、対日政策は安全弁として持っていく可能性が強いと思います。日本はアメリカの言いなりでしたから、オバマ氏はあえてアメリカから変える理由も必要もないわけです。日本からの資金援助も自衛隊の援助も取り付けつつ、イラクで変わったり、いろいろなところで変わるのでしょう。

 

 だから自民党が続く限り依然として従属の道を歩まなければならない。しかし、こっちも変わることができれば、その変化をはっきり相手に示すことができるならば、アメリカもそれを受け止める、ブッシュの時よりもきちんと受け止めるでしょう。その意味で情勢はいい。国内でも麻生政権はますます末期的な症状に陥りつつあるとすれば政権交替のチャンスはきわめて大きい。そうした状況の中で対抗構想を打ち出すことは、時宜にかなっているし、必要なことであると思います。

 

 田母神問題にはいろいろな側面がありますが、その根源と自衛隊の中における矛盾、体質のようなものを彼の発言から受け止め、変えていく契機とする。そのためには、護憲運動の再生と未来に向けた闘い、それが今日のタイトルの「九条の闘いの視点」になるのではないかということを申し上げて終わります。ありがとうございました。(了)

 

(この講演録は08年11月30日 主催「マスコミ・文化九条の会 所沢」が行った緊急学習会のものです)