小中陽太郎/作家/共同性への意志/06/06/15


 

共同性への意志

小中陽太郎(作家)

6月初の土曜日。東京・有楽町のマリオン前で開かれたマスコミ9条の会や自由法曹団、JCJ、MICなどの「リレートーク」に参加、映画評論家の山田和夫さんや亀井 淳(出版)、河野慎二(民放)、仲築間卓蔵(民放)、山崎晶春(出版)さんたちに会えて楽しかった。

ベトナム戦争の最中土曜日というと、ここで「べ平連(ベトナムに平和を!市民連合)ニュースを売り、車の上でマイクを握ったのでとても懐かしかった。当時は隣で、赤尾 敏が演説をしていた。右翼の大立者である。すこし経つと、菅 直人が市川房江さんをささえて、小さな白い車でやってきた。06年の6月と同じように、数寄屋橋を行き交う若い人たちは、デートに夢中だった。そのことに今も昔も変りはない。しかしある日それは変貌した。それは沖縄の核つき基地つき返還に反対する沖縄デーだったが、交差点をデモ隊が埋め尽くし、機動隊は催涙ガスで襲ってきた。翌朝、ワイドショーで現場中継し、「この催涙ガスのにおいで都民は否応なく沖縄の苦しみを思い起こすでしょう」といったら、「自由新報」が、当人がデモしていたくせにと、書いた。仰せのとおり、とおかしかった。

こちらに小田 実がいて、となりに普選運動の市川房枝がいて、向こうに赤尾 敏がいた時代が懐かしい。それが言論の自由だ。

しかし06年の6月、自民・公明は「共謀法」という内面の自由を侵す法案をさまざまな策謀によって、サミットに間に合わせようとあがいている。民主の修正案のまるのみはさすがに、本音が丸見えで、一蹴されたが、またどんな奇策を弄してくるかしれたものではない。

わたしの属する日本ペンクラブもJCJに並んで反体声明を発表した。

「人間が人間であるがゆえにめぐらす数々の心象や想念にまで介入し、また他者との関係の中で生きる人間が本来的に持つ共同体への意志それ自体を寸断する」と井上ひさし会長名で猛省を求めた。共同体への意思の意思を分断するな」という指摘はわたしにとっても新鮮な視点である。このごろのすさんだ世相、拝金亡者の暗躍は、いずれも、人間の共同性への信頼のなさから来ていると思える。いま数寄屋橋の人は、車の上から見ると、ばらばらに見える。しかしこの仲間が手をとって自由を求める日は必ず来る。時代がそれを待っている。6月6日には名古屋で、17回目になる市民と言論新保時有無の会が開かれる。ゲストは高田幸美さん(立川反戦ビラ入れ事件被告、ミュージシャン)。

7月14日のパリ祭には、拙著をもとに戦争の時代を描くミュージカル「ラメールを」の名古屋の全港湾労働組合や、名古屋芸大の共催で上演する。(6時港湾会館)。そのために毎週熱気のある取り組みが市民と労働者、学生の間で続いている。俳優天野鎮雄も出てきてトークするのがいまから楽しみだ。あのころはベトナム戦争、いまはイラク戦争、沖縄返還運動に対して、基地再編反対、危機は迫っている。それだけ市民や労働組合が手を握り合わなければ戦争の勢力も手ごわい。しかし共同性への意志あるかぎりわたしたちは大きな波を起こすことができるだろう。まだばらばらに見える土曜の銀座の人波を見ながらそう確信した。