小中陽太郎/作家/「殺すな!」と、イスラエル軍のガザ侵攻に対し叫ぼう!/

09/01/17


「殺すな!」と、イスラエル軍のガザ侵攻に対し叫ぼう!

 

小中陽太郎(作家)

 

 新年のご挨拶もそこそこに、成人式の朝のAFPによると、先月27日からのパレスチナ自治区ガザ地区の死者数は885人に達しというニュース(朝日新聞1月12日朝刊)に衝撃を受けています。そこでいたらぬながら、この惨劇を私と同じように憂いている友人に手紙を出しているので、この機会に皆さまにもお便りいたします。

 

 イスラエル側はハマスによるテロ攻撃を言い立てていますが、国連パレスチナ難民救済事業の運営する学校三カ所への砲撃により50人を超える罪なき子供たちが犠牲となったことに弁護の余地は全くありますまい。

 

 ガーゼの由来といわれるガザ(毎日新聞1月8日)は、いたいけない子供たちの血で染まりました。かつてアウシュビッツほかで民族クレンジングの悲劇を体験した民族が今度は同じ無法行為を行うとは歴史の教訓を履き違えています。

 

 この時期の攻撃は、アメリカの政権交代の空白を狙い、欧米の金融恐慌をよいことにしているなどの見方もありますが、自国の安全までも世界秩序の混乱に乗ずる侵略は卑劣極まりないといわざるを得ません。西側は金融崩壊、東側は周辺民族の苦闘が続いています。これが東西崩壊の結果なのでしょうか。さらに、ユダヤ教とキリスト教のはざまでイスラムのみは、ひたすら苦しむのでしょうか。

 

 日本人として残念なのは、日本政府は中東の和平と称して、イラク周辺に自衛隊を派遣し、政治的戦略に明け暮れ、不況にも具体的な対策もたてられず、アメリカの戦略に迎合、追随して抗議の声すら上げないことでしょう。

 

 ひるがえって、これまでの私の思想の歩みをかえりみるに、アジア・アフリカ作家会議においてアラファトをはじめとしてアラブの作家たちと交流を深め、その後には、アジアキリスト教協議会の議長として諸宗教の一致(エキュメニカル運動)に携わってきました。

 

 こうした運動に携わった私としては、パレスチナのこの流血について、かつての努力が無に帰される思い―無力感におそわれています。政治的、軍事的行動に対する非難の応酬を即時中止して、まず、幼い子供達、老人の命を救うことにはならないでしょうか。

 

 “いかなる戦争も悪である”この立場で思想的、宗教上からも、克服への道を切り開く時ではないでしょうか。平和運動、言論の自由の運動、文化運動に携わっている皆さんはどのように対処していらっしゃいますかお教えください。

 

 そのことを恥じつつもここにお手紙するのは、下記の人々の勇気を覚えるからです。

 

 ドレスデンであったマフムード・ダルウィーシュは生前「壁に描く」(四方田犬彦訳)でキリスト教とイスラム教の文化的同一性を教えてくれました。大江健三郎氏がよく伝えているサイードの著書で、わたしがショックを受けたのは、アラブ支配階級の責任放棄の指摘でした。

 

 このとき自国民衆の抵抗をおそれた周辺諸国の和平案にどれほどの説得力があるのでしょうか。そして脱走兵運動で会ったチョムスキーが、ユダヤ民族を超えて、力を振り絞って発言をつづけていることに励まされます。

 

 さらに我が国にも、広河隆一カメラマンはじめアラブの民衆と連帯する仲間がいます。(朝日新聞1月8日、9日朝刊)。

 

 私たちはどうしたらいいのしょう。

 

 たしかに政治的組織もいまはなく、持ち場たりしマスコミへの回路も減ったいま、私に、どのような手立てが残っているかさえ定かではありません。かつての同僚とも話し合って、少なくとも皆さまのそれぞれの範囲で、パレスチナに心を向け、声を上げ、なにがしかの行動を、各自でしてみようと訴える手紙をお出ししてみようと筆を取った次第です。

 

 いま岡本太郎さんの壁画が、東京渋谷の地下通路に移されたことは皆さまもご存知と思います。それで思い出します。ベトナム戦争の時、べ平連(ベトナムに平和を! 市民連合)が中心になってアメリカのワシントン・タイムスに意見広告を掲載しました。

 

 その時、岡本太郎さんが画面いっぱいに「殺すな」と描いてくれました。この文字は和田 誠さんにより「殺すな」バッジとなり、多くの人々が胸につけてアピールしました。

 

 いまこそこの言葉を、イスラムに向けて叫びたいと思います。

 

 2009年1月15日

 

(元アジアキリスト教協議会議長、元日本アジア・アフリカ作家会議事務局長)