小中陽太郎/作家/二つの絞首刑―年賀状から― /07/01/12


二つの絞首刑

―年賀状から―

小中陽太郎(作家)

あけましておめでとうございます。
「目には目を歯には懐中電灯フセイン大統領」といういろはがるたを作ってイラク戦争に抗議したのはたった2年前なのに。
「放送レポート」に発表した「ヒロシマへの道 ヒロシマからの道」や「ジャーナリスト」に発表した「JCJ賞と名古屋の連帯」などをおさめた「一人ひとりのマスコミ」3月刊行予定(創森社)です。ご高評を。
勤務先、星槎大学、芦別小学校の跡を校舎にし、LD支援教育にも力を尽くす通信制大学。名古屋経済大学短期大学部放送コース、犬山にあります。

2007年1月1日 小中陽太郎

横溝正史原作「悪魔は来たりて笛を吹く」が稲垣吾郎でテレビ化された。この作は1948(昭和23)年の帝銀事件を織り込んでいる。その年の暮れ東条英機ら7人のA級戦犯が絞首刑を執行された。11月23日だ。年の暮れに慌てて死刑を執行するのはそのとき以来のアメリカの伝統らしい。
わたしは、A級戦犯は日本を戦争に導き、アジアの2000万の民衆を苦しめた責任があると信ずるが、しかしあの裁判がどこまで正当性があるか、は疑問に思う。もっともいまそれを言い立てる人たちは、国際的正当性から言っているのではなくて、戦争主義者を弁護し、戦後の民主主義の歩みを否定する為に言っているのだから、その真意はみえみえだ。
それにしてもフセイン裁判もまた、フセインの行なったことの証明もせず、国際的承認なきリンチとしかみえない。
ときあたかも1月6日の毎日新聞、ワシントン笹原俊彦記者によると、ブッシュ大統領は、メルケルドイツ首相との会見で「「米国が自国の安全にかかわる決定をするのに国連の承認が必要だとは決して考えなかった」と振り返ったうえで、「わたしは他の国々が国連を頼みにしていることを理解するようになった。米国が大きな目的を達成するには欧州との良好な関係が必要だ」と語った」(毎日新聞07年1月6日夕刊)。
盗人猛々しいとはこのことだ。
ブッシュ大統領が間違いを認めたようにもとれるが、少なくともテネシーの盟友小泉元首相が、盟友の過ちを認めた話しは聞かないし、ましてその後継者安部普三首相は、教育基本法を改悪してアジア無視を続けている。

暗い話が続くが、憲法第9条の会のアメリカのオバービー博士から、名古屋のたかだ洋子さん経由で、2007年PEACE CALENDAERが届いた。一週間ごとに反対ページに平和と戦争の写真が収録されている。1月第1週は、黒澤の「夢」のシーンから。原子力発電の爆発のきのこ雲に、漢字で「夢」の字が浮いていておそろしい。第3週は、敬愛するノーム・チョムスキーが、平和運動の大きなリーフレットを読む写真ですっかり嬉しくなって、急遽この項を付け加えている。チョムスキーとは、1968(昭和48)年ストックホルムのベトナム反戦緊急集会で相次いで講演した。日本の警察が、米兵の逮捕権がなくて、アメリカ軍に紹介する〈consult〉にSがいるか聞いた。生成文法の大文法学者に、3人称単数のSがいるか、をきいたのがわたしの自慢?である。答えは「いらない。複数扱いだから」。いまだに日本の政府はアメリカ政府にいちいち、お伺いを立てている。情けない。でも懐かしくて一筆。