小中陽太郎/作家/民主主義は工場の前で立ちすくむ09/07/15

 

 

 

民主主義は工場の前で立ちすくむ

 

―40年前の時代に引き戻された、 現実に起きていること―

 

小中陽太郎 (作家)

 

 

  「民主主義は工場の前でたちすくむ」 という労働運動家の言葉がある。

 

  一般社会で、 どんなに自由だ、 平等だといってみても、 所詮生産現場ではそんなものは空念仏だというのである。 それをもじっていえば、 「労働権はオペラ劇場の前でたちすくむ」となろうか。

 

  新国立劇場所属合唱団の八重樫節子さん(61歳)の訴えに対し、 東京高裁は、 「団体交渉をしなさい」という東京地裁と都労委の命令を取り消し (3月25日)、 さらに2日後、 最高裁も合唱団員としての地位確認を不受理とした。

 

  八重樫さんは学芸大学を卒業、 ソプラノの歌手として二期会合唱団で20年歌い続けた。 新国立劇場のオープンにともない93年に出演基本契約を結んだ。 彼女たちは、 1年1回視聴会というテストを受ける。 これまでで9割が解雇された。

 

  合唱団はアンサンブルが命だ、 外国のオペラ劇場はどこも専属契約だ、 と八重樫はいう。 パートリーダも務め、 団員の待遇改善を求めてさかんに発言していた八重樫さんは2003年に契約を拒否された。 日本音楽家ユニオンの一員として団体交渉を申し入れたが、 劇場の運営団体に拒否された。

 

  都労委、 中労委は、 団交拒否を違法としたが、 裁判となり、 弁護団や労働法学会の精緻な弁論にもかかわらず、 裁判所の門は開かなかった。 八重樫さんが視聴会でうたった 「カバレリア ・ ルスチカーナ」 の間奏曲をこれからきいても、 枝もたわわなオレンジの実が落ちてしまいそうな気がするだろう。

 

  この話を聞いて、 私は、 一挙に40年前の時代に引き戻された気がした。 当時私が勤めていたNHKと問題の根っこが同じだからである。

 

  それまでにはNHKは、 管弦楽団、 合唱団、 劇団を有していた。 俳優で言えば黒柳徹子さんなどであった。 皇太子ご成婚パレードが行われていたときNHKは、 彼らの契約を専属から1回ごとの出演である優先契約に変えた。 私は、 入局2年目、 団員の技能審査に当たり、 役者や楽隊は、 芸を磨けばいいのだ、 と公言した。 芸術家たちは、 組合を結成した。

 

  私は一介のディレクターだったが、 前非を悔いて、 かれらの歩みを 「王国の芸人たち」 という物語にまとめた。 やがて音楽家ユニオンが誕生、 おりしも争議中の日本フィルは、 コントラバスのケースにぼくの本を入れて売りさばいてくれた。

 

  オクスフォード ・ ペイパーバック ・ ディクショナリーで 「フリーランス」 を引くと 「特定の雇い主の変わりに、 不特定の雇い主にサービスを売る人」 とある。 私もそれだ。 皮肉だが実態だ。 これにくわえて、 「だから組合をもてない人」 といおうか。 それが非正規労働者に対して行われてきたことだ。

 

  そういう非正規労働者の権利をいかに守るかが、 今日本の社会の緊急の課題であろう。 こんなことが税金で支えられている国立劇場で大手を振っておこなわれていいのだろうか。

 

  わたしは何も芸術家を特別あつかいしようといっているわけではない。 芸術家にはテント村もないといいたいだけだ。