小中陽太郎/作家/電文漏洩情報公開請求と人間西山太吉―1972年を記憶する1,972円のカンパを―08/10/04


電文漏洩情報公開請求と人間西山太吉

 

―1972年を記憶する1,972円のカンパを―

 

 小中陽太郎(作家)

 

 9月2日、原寿雄さん、奥平康弘さん、弁護団長の清水英夫さん、日隈一雄さんほか7人の弁護士と外務省へ「沖縄密約文書」情報開示の請求にいった。外務省の外壁沿いの控え室だった。

 

 そこから記者会見のために歩いて内幸町のプレスセンターに戻ると西山太吉さん、澤地久枝、我部政明、松田浩さん、司会の岩崎貞明さんたちが顔を揃えていた。そして、ぼくたちは、ここで思いもかけぬ知らせに耳を疑った。

 

 外務省にいた間に最高裁は西山さんが訴えていた「賠償請求」を20年の除斥期間を過ぎているからと棄却していたのである。

 

 西山さんは「これは政治判決だ」と声を震わして怒りを表した。当然だ。アメリカ国内で文書が公開されたのは02年だから、それから訴えを起こす権利はあるはずではないか。

 

 ところで、澤地さんはこれまで西山さんにお会いしたことはなかったとうかがい、意外といえば意外だし、うなずけるようにも思った。そういえば、沖縄出身の土江さんも、蓮見さんのドキュメントをつくったとき、西山さんには会わなかったといわれた。

 

 ぼくは名古屋のマスコミ夜塾(塾頭は元毎日の大橋 治)で05年7月14日に西山さんの話を聞いたとき、名古屋勤務だった土江さんをお誘いしたが、お断りになった。この事件のもう一つの側面、女性の取材者の心根をあらためて見せられた思いだった。

 

 お二人とも女性の立場を第一にしてこの問題を取り扱ったのだな、情報の扱いについても人間的側面を見せられた思いだった。一方が請求に加わったのは、西山さんにこんなお話を伺ったためである。

 

西山さんの話

 

 「起訴に当たって国は以上の犯罪を隠蔽し、その犯罪を充分に証明できる被告側提出の証拠、すなわち極秘電文についても裁判で徹底的に偽証し犯罪性の立証妨害に出た。検察も電信文により国の組織犯罪の存在を十分に認知できたにもかかわらず、その隠蔽と問題の“すりかえ”に全力をあげた。」

 

 そのとき男性の若い参加者(毎日労組の人だったと思う)が、「いま訴訟するなら、なぜ当時辞職を受けたか」と聞くと、西山さんは「自分は正しいと信じている。しかし当事者が有罪となっているのに自分だけが無罪と主張できない」と胸の内を語ってくれた。ぼくはかれの責任の取り方に胸を打たれた。

 

 さらにこの後、ぼくはいまでも西山さんが世界の情勢を詳しく分析されていることに感心して、「あなたは現役を離れて久しいのにどうやって情報を得ているのですか」と失礼なことを聞くと「新聞を開き、それに傍線を引いて読んでいる」と教えてくれた。

 ぼくはかつて羽仁五郎が「赤えんぴつと青えんぴつを用意し、歴史の進歩に役立つニュースは青、逆行するものには赤を引いて、それだけで『都市の論理』を書き上げた」と明かしてくれた話を思い出した。

 

 西山さんのスクラップには青と赤とどちらが多いのだろう。

 

 西山さんは、そうやって30年を現役として生きてきた。

 

 それを除斥期間が20年だから、などという三百代言的法律論で控訴棄却するとは最高裁は人間の執念を知らない。(こ)ういう判決は歴史の名において棄却だ。

 

 ぼくは30年間真相究明に情熱を燃やす西山さんに感動し、今回も今度の情報公開にも自分からお願いして請求人に加わった。“ことば”はかならず人を動かす。

 

 会見で配られたコピーには当時の吉野文六外務省アメリカ局長とスナイダー駐日アメリカ公使が交わしたイニシヤルのあるコピーがあるのに、これも存在しないのだろうか

 この文書を発見したのは、琉球大学の我部政明教授だ。沖縄でもこの日同時刻に、新崎盛暉さん、土江真樹子さん、松元剛さん、宮里政玄さんらが会見をしている。

 

 今度の公開請求に踏み切らせた真の力は、西山さんの執念にくわえて、集団自決の教科書検定などで示された政府に嘘をつかれ続ける沖縄の怒りだと思う。

 

 最後に、この運動へのカンパは、沖縄返還協定の年号を記憶して、1,972円だ。

 

ゆうびん銀行

 口座番号(00130−0−563368)

 加入者名(沖縄密約文書開示請求の会)