小中陽太郎/作家/言論の自由はすべての基本ー自主規制は政治介入を許すはじまり―/06/01/15


言論の自由はすべての基本

自主規制は政治介入を許すはじまり――小中陽太郎(評論家)

日本国憲法に記された守るべき基本的人権は多岐にわたる。プライバシーを守る権利もあれば、居住の自由も大切だ。しかし言論の自由は、憲法が保障する自由の中で、あらゆる自由の基礎とされる。そのように、あらゆる憲法論は教える。それはなぜだろう。言論の自由は、それがあれば、他の自由が侵されたときに、それを訴えることができるからとされる。わたしは大学のマスコミ論で真っ先にそれを教える。学生たちは、マスコミの被害、スクランブル取材やワイドショーにうんざりしているから、言論の自由が自分たちのためにあるとは思いつかないからだ。

立川市の防衛庁官舎へ「イラク派遣反対」のビラをいれたことを東京高裁は逆転有罪とした。東京新聞12月9日夕刊は「表現の自由弾圧」と大きく取り上げた。今年になって朝日新聞が1月10日で、この問題を取り上げ、「住居の平穏を守るため」という検察幹部の言い分を引き出している。言論の自由の本質を無視した見解だ。朝日は「規制の行き過ぎ」と書いていた。

 日本国憲法は9条が根幹であるが、それ以外にも数々の市民の権利を守る砦が存在し、それがないがしろにされていることを見逃してならない。

NHKの 脆弱性は政治への従属

日本国憲法は9条が根幹であるが、それ以外にも数々の市民の権利を守る砦が存在し、それがないがしろにされていることを見逃してはならない。今年の紅白は、民放の人気者の力を借りてなんとか生きながらえたが、NHK自体の構造的脆弱性は改善されない。NHKの脆弱性とは受信料ではなくて、政治に従属していることである。

その意味で、NHK受信料支払い停止運動の会」(「共同代表=醍醐聡東大教授」)が「政治家に対する個々の番組内容の事前説明はやめるのか」と質問したことは的を得ている。放送が中止されたことで、NHKに損害賠償をもとめた控訴審でNHKの長井暁デスク(当時)は「いまでも政治家が理事を呼び出し放送中止を求めたとおもっている」と明言した(東京12月22日)。わたしの後輩に、当時のNHKスペシャルの責任者がいる。かれの話によると、圧力が加えられて改変されたのは、朝日の伝えた通りだという。朝日は、のちに『記事は不正確』(10月1日)として謝罪したが、大筋は正しいのなら、がんばってほしい。東京新聞によれば長井氏は、テープを持っているそうだ。

 

ひとりの決心が番組を守る

わたしも、小田実とのテレビドラマのfilmを持っている。和田勉がfilmにしておいてくれたのである。その後は脱走兵の記者会見もある。番組は、ひとりのプロデューサーがその気になれば残る。彼を孤立させてならない。わたしはそのおもいで、こう書いたことがある。

「放送とは電波と巨大なビルがなければ放送ではない」と考えていたのはまったくの思い違いであったことを知った。たしかにテレビほど組織と技術力と政治にがんじがらめになっているものはない。それでさえ、小さな番組一守るのは、たった一人の決心である。それに小さな応援団がいたらこわいものはない。NHKデスク長井暁がやろうとしたこともそれだけのことである。もしビデオがすべて消されていても、ひとりのプロデューサーの脳裏に焼きついた映像は永遠である。その圧力を取材した記者の記憶に残る証言も永遠である。人間の記憶と知性は、電磁の記号やメモ帳よりはるかに精巧で、執念深いのである。

 

■小中陽太郎プロフィール

作家。日本ペンクラブ理事、中部大学人文学部教授、メディア教育センター長。1934(昭和9)年、神戸市に生まれる。父は大分県臼杵市、母は兵庫県神戸市出身。幼時上海に育つ(上海の思い出や戦時中の特異な療養生活、NHKを経てベ平連に至る半生を、母の手記や日記を織り込んで小説『ラメール母』にまとめ、2004年6月平原社から上梓)。1958年、東京大学フランス文学科を卒業、NHKテレビディレクターとなる。この間の経緯については『愛と別れ』(河出書房)、『王国の芸人たち』(講談社)、『不思議な箱のテレビ考』(駸駸堂)などに詳述。

   ベトナム戦争中は、小田実らとベ平連(ベトナムに平和を! 市民連合)を結成。その後、東京のホテルから拉致された金大中氏の救出にかかわる(『私のなかのベトナム戦争』サンケイ出版)。その間、歴史、市民運動、教育問題などを題材にノンフィクションを発表する。初期の作品に『天誅組始末記』(大和書房)、『小説内申書裁判』(サンケイ出版)、『ぼくは人びとに会った』(日本評論社)などがある。さらに「11PM」などのバラエティー番組で軽妙な話術を披露し、野坂昭如らと「酔狂連」と称して昭和元禄の一翼をになう。