小中陽太郎/作家/名古屋の出版記念シンポウム―憲法9条とベトナム研修生―09/04/08

 

名古屋の出版記念シンポウム

 

―憲法9条とベトナム研修生―

 

小中陽太郎(作家)

 

 

 榑松佐一著『トヨタの足元で ベトナム人研修生・奪われた人権』(風媒社)、拙著『小田 実と歩いた世界 市民たちの青春』(講談社)を題材にしたシンポジウムを、3月27日名古屋ボランティアNPOセンターで開催した。司会は木村直樹。

 

 ポスターはこの二人の名前によるが、実はもう一人、佐藤毅(元中日新聞編集担当専務)が重要な参加者だった。佐藤は「護憲運動は政治的な問題ではないと思います。日本は『もう二度と戦争はしません、これからは平和国家でやります』と世界に約束したのですからそれを守るかどうかは、民族の節度、自覚の問題です。」(革新・愛知の会)として、ドラゴンズ相談役の多忙の中も草の根の講演を続けてきている人物である。

 

 わたしが勇気づけられるのは、草の根ではわれわれは多数派になれる、という確信とともに、9条を守る運動を国際的な約束ととらえる観点である。この見方は、今回のシンポジウムのテーマにつながっている。さてこの5年を振り返って私が話したこと。

 

 シンポジウムの母体は、今年で5年目の市民と言論実行委員会だが、この会の呼びかけ人の一人として、大切にしていることは、市民運動・労働組合・マスコミ企業人の連帯を構築することであった。

 

 2004年イラクでの高遠菜穂子さん拘束の報に、名古屋大に来ていたイラク人医師モハメド・ハッサンによる実行犯への呼びかけも、弁護士、労働組合、マスコミ関係者、ピースボートなどが一体となっての運動であり、それはまたイラク派兵違憲訴訟の勝訴への連帯へとつながった。

 

 さらに私個人としても昨年末から今年初頭のイスラエル軍によるガザ侵攻に対し、「岡本太郎さんのベトナム戦争当時の反戦広告の「殺すな」をかかげて、市民に訴えた。(マスコミ9条の会HP参照)。

 

 私と組合の出会いは、NHK退職にはじまる。折りしもNHKの芸能員(大阪放送合唱団など)の契約更改で、突然それまでの雇用契約が打ち切られ、契約社員とされた。芸術家(芸能員)は「日芸労」を結成、その後40年を超える闘いに突入した。芸術家、ひいてはフリー労働者の労働の実態を知らされ、「王国の芸人たち」として発表した。それが私と組合とのつながりのはじまり。それは市民運動からただひとりの全国革新懇話会世話人参加に連なる。

 

 私はそのことでべ平連内部から違和感をもたれたが、私はその路線も捨てなかった。それがのちの都知事候補に至るのは、拙著に詳述したとおりであるし、マスコミ9条の会との連帯にもつながる。この問題は、いわば今日の派遣社員の始まりであり、問題は今も東京第二国立劇場の合唱団でも発生している。

 

 率直に言うと、市民運動には、自由な発想と自発性があるが、組織がない。労働組合は組織と力があるが、機動力に欠ける。この二つをあわせたら鬼に金棒だ。

 

 さて、ベトナム研修生についてお話ししたい。榑松佐一氏を事務局長として、愛労連 は、この2年間に89件480人の外国人研修生・実習生の相談を受けてきた。

 

 それによると、パスポートの取り上げ、強制貯金、外出制限、門限違反への罰金などの人権を無視した規則を押しつけ、これに違反すれば強制帰国となるばかりか、高額な保証補償金を没収するような契約になっている例が発覚している。国内の受け入れ機関は2年目からは各企業となるはずが、ほとんどの受け入れ団体が、2年目以降も企業から多額の管理費を徴収していた。

 

 ある団体は実習生一人当たり55,000円、さらにビザ更新などの実費をとられていた。その分が結局研修生に違法な形で転嫁されるのだが、しかし、研修生は強制送還を恐れ、泣き寝入りしてきた。

 

 現在、外国人「研修・技能実習制度」の改善を含む入管法改正案が検討されているが、経産省・財界への供給である在留期間5年への延長が盛り込まれている(実習期間は奨励で当面3年)。

 

 最大の問題は、財団法人国際研修協力機構(JITCO)を5省共管で設立している法務省、外務省、厚生労働省、経済産業省、国土交通省の権限が入り乱れていて、団体への許認可・監督は一元化されていないのである。

 

 愛労連は意見書を提出、「派遣ビジネス化している受け入れ団体への指導・監督こそが最も重要である」と補強を求めている。

 

 さて以上の3人の発表をうけて、会場のマスコミ、市民運動の参加者から、ベトナム戦争中のベトナム人との交流の様子などで活発な意見が交わされた。

 

 正直言って市民運動は、脱走兵の援助までは直接連携はなかった。それはひとつには、社会主義国として、ベトナム側が友党や労働組合との連帯を優先したこと、他方、マスコミのスクープ合戦でベトナム当局側も、宣伝効果のある大マスコミを選別的に入国させたことを指摘した。

 

 それにたいして小田実を中心として私たちは個別に各地でベトナム側と接触した。もっとも私の意見に対して、元毎日新聞論説委員の大橋弘氏から、大森 実記者のハノイ報道をあげて、大森がいかにスクープのために努力したかと、強い反論があった。それはその通りだが、私はハノイ政府側の対応を語ったつもりである。

 

 さらに話題はマスコミの現状におよび、当時にくらべて今の市民運動の停滞について、アムネスティ日本理事の津田秀一(なんと私の予備校の弟子)から当時と比較して質問があった。

 

 私の答え、現在のマスコミのニュース(かつての久米宏や田原総一朗から、みのもんたまで)が「代行民主主義的」にガス抜きになっていること、インターネットなどで、人間と人間のつきあいが希薄になっているメディア優先時代であること、もう一つは、運動がベトナム戦争というような世界的なテーマではなくて、環境、年金、派遣などの個別化していることをあげた。

 

 しかしグローバリゼーションや市場経済優先の政治の中で身近な生活防衛にも限界があるだろう。これが世界的な反乱にいたるかは世界経済の行方と密接な関係があるだろうが、やはり民衆の側の主体的な取り組みいかんではないか。

 

 べ平連がマスコミの現場の人間を仲間と見てきたといったことに対し、会場から「パチンコのCMばかりしているマスコミに甘い」という当然の批判が出た。確かに今のテレビのお笑いブームは残念だ。しかし責任は企業としてのテレビの経営であって、中で働く一人一人は、そのことに怒っている。かれらも同じ市民だ、彼らとの連帯ももっと追求すべきである、と強調した。この点については、東海テレビプロダクションの大西文一郎相談役に意見を聞いた。

 

 議論のなかでこんなことを思った。これまでのアジアとの交流は平和運動や作家団体の連帯、また大マスコミの取材活動として行われてきた。それに対し未組織労働者との草の根の交流はやっと始まったばかりである。

 

 派遣や研修生問題こそアジアの民衆同士の連帯のはじまりではないか。さもないとこの滔々たるグローバリゼーションの荒波に抗してアジアの労働者の人権を守ることは不可能だろう。

 

 以下のことは会場では述べなかったので書いておきたい。

 

 ベトナム戦争反対運動を通してさまざまの交流があった。平和委員会、作家同盟キリスト教団体、だが2002年小田と最後にベトナムを訪問した時、南ベトナム解放戦線が立てこもったクチ・トンネルにいった。25㌔のトンネルだった。高齢の通訳がいった。

 

 「私たちはここでベトナムの枯草剤(枯葉剤)、軍用犬とたたかった。いちばんつらいのはヘリからの放送だった。『あなた方の妻や子が待っています。さあ、早く壕から出てきなさい』と昼夜を分かたず空から呼びかける。そのとき私たちを勇気づけたのは、NHKの相模原の市民たちが戦車をストップしているというニュースだったのですよ、ああ日本では私たちの戦いを知っていてくれる」と。

 

 相模原の座り込みをした山口幸夫と三信交易の羽根田新平はそれを聞き、帰国後、農民たちを日本に招いた。

 

 クチを訪ねた夕方、一人でサイゴン川の夕日を眺めていたら平和委員会のグエン副会長が寄ってきて、二人でベトナムビール「333」を飲んだ。うまいビールだった。

 

 これからベトナムの若い労働者との交流が始まるのだ。

 

 ベトナム民衆の交流について2、3の追記。

 

 民間交流、研究につとめた以下の人たちの存在も紹介したい。

 

 1) ベトナム戦争中、現地に滞在し、ハノイとソンタイを結ぶ幹線で、紅河堤防上の神跡を調査、80年以降民間信仰の考察を続けている高津茂星槎大学教授の地道な研究。

 

 2) 2008年まで10年間、ホー・チ・ミン市のベトナム国立大学の日本語講師を務めた越充則。それにハノイ事務所長であるSanshin Trading Co. Ltdの新妻東一などが思いつく。