前坂 俊之/静岡県立大学国際関係学部教授/ミーイズムの日本/06/09/01

 


           ミーイズムの日
    
前坂 俊之(静岡県立大学国際関係学部教授)

 小泉首相の靖国神社参拝や日中の外交対立など日本の政治状況とメディアと国民の受け止め方を見ていて、イチローの評判の日米落差と同じものを感じました。

 メジャーリーグを代表する選手となったイチローは今年も打率3割をマークしていますが、肝心のチームは連敗記録を更新して最下位に低迷。「イチローや城島が頑張っているのに、マリナーズは最低、米選手はどうしようもないね」とは大方の日本人の印象です。

 ところが、地元・米シアトルの見方は逆だと、マリナーズの最も長い地元記者が伝えています。意外や意外、イチローこそチーム低迷のA級戦犯というのです。

 チームで一番のベテランとして、リーダーシップを発揮して他の若手選手を大いに引っ張ってチームをまとめる責任があるのに未だに、ひとりよがりの単独行動に終始、コミュニケーション能力が不足している。

 WBC(世界野球選手権)では日本チーム主将として優勝に導いたのに。

 確かにヒットを量産する安打製造機の職人であっても勝負強くなく、打点が少なく、最高のプレーヤーではないというのです。メジャーを制した天才イチローと仰ぎ見がちな日本人にとっては予想外の評価です。

     さて靖国神社参拝問題。

「いつ行っても批判されるので、最後に公約を守って15日にしました」とは退任する小泉首相の弁ですが、飛ぶ鳥あとをより濁して、次政権に大きな難題を丸投げするという、いつも通りの行動パターンで、最後の最後にまた、因果な事をやってくれたものです。

 友好を築くのは難しく、壊すのは簡単です。

 百年の友好も一瞬の誤判断で亀裂が入り、愚行を繰り返すことで取り返しのつかない結果を招きます。一国の宰相たる者、言動には細心の注意と胆力を必要なことはいうまでもありません。

 日中対立のルーツをさかのぼると、約70年前の1937(昭和12)年7月に起きた日中戦争では時の近衛文麿首相は日本軍の暴走に対して当初、「不拡大方針」を指示しながら優柔不断で一転して、派兵を決定し、南京占領まで戦線は拡大します。

 和平工作を「以後、国民政府は相手にせず」との一方的な近衛声明を発して、外交交渉を自ら打ち切り講和のチャンスをつぶしました。

 軍部に中国は一撃さえすれば簡単に屈服するという甘い判断とおごりがあったのです。こうして、近衛内閣の見通しの誤りと一方的な声明で、以後、日中戦争は抜き差しならぬ泥沼状態に陥って、英米主義者を自認する近衛首相は責任を取って降板し、太平洋戦争開戦直前に再び登場します。

国際情勢はさらに悪化し、対米戦争やむなしとのギリギリの状況になっており、優柔不断な近衛はまたも態度を二転三転させ、結局『対米戦争に自信が持てない』として政権を投げ出し、東条英機の開戦内閣が登場するのです。

 近衛文麿はもちろん軍国主義者ではなく、共産主義にも理解を示した英米派の自由主義者でしたが、こと志と違って結果的に、戦争への道をすすめ、国民を誤導した責任は小さくありません。近衛外交の失敗の結果が戦争につながったのです。

 この近衛の登場を国民は待望し、熱狂的に支持して、近衛首相は国内改革と称して、国家総動員法や経済の戦時体制を導入し、日本は国家社会主義化の方向にすすみ、政党も解散し挙国一致して大政翼賛会的な組織になだれを打って行ったのです。

 私には小泉首相と今の政治状況は何やらこの近衛文麿とその時代に二重写しに見えてくる、歴史的な類似性を強く感じるのは、私の錯覚でしょうか。

 5年余の小泉首相の一連の最重要課題であった北朝鮮外交、日本の国連常任理事国入り問題、日中韓外交は残念ながらことごとく失敗に帰しました。

「日米関係が良ければ良いほど、中、韓、アジア諸国をはじめ世界各国と良好な関係を築ける」と迷言(!?)した小泉外交の成績表はアジア外交をぶち壊し、修復困難な状況にしたという点ではゼロどころか、大きなマイナスを残しました。

 北朝鮮問題も、国連常任理事国入りもすべて中国がカギを握る最大の交渉相手であるのに、その肝心かなめの中国との外交の門戸を「近衛声明」に似て、自ら閉ざす挑発的な行動に何度も出て、このツケを何とか挽回しようと、退任前のこの夏休みになって小泉首相自らは中央アジア各国を、外務省も政府要人らはアフリカ諸国やインドに応援、支持を求めて汗だくで回っているのですから、何をかいわんやです。場当たり主義の典型ですね。

 靖国参拝問題は単なる国内問題でも、小泉首相の英霊に慰霊の念を表す、心の問題だけではありません。日中の戦争処理、戦争問題解決の基本、つまり日中友好の原則に関わる根本的な外交問題なのです。だから、これだけ長い間、両国間の懸案となってきたのであり、中曽根元首相、昭和天皇も中国政府のこの問題への認識を知って以来、避けてきたトラの尾を小泉首相はあえて「中国政府が文句をいっても相手にせず」「問答無用」とばかりに踏んで、何度も靖国参拝をしてきたのです。

『近衛声明』と同様に、この一連の『小泉靖国外交失敗』は後世の歴史に残るものとなることでしょう。

靖国参拝に象徴される小泉行動学を見てみますと

 しかし、米国、世界が小泉首相に真に期待していたものは国際社会、とりわけアジアでの強い日本の指導力であり、「靖国は外交カードにならないとか、中国首脳が会ってくれない」とか泣きごとを並べる前に、自らの外交能力、コミュニケーション能力を発揮して、中国を国際社会の責任ある一員に引っ張りこんていく大国の指導者にふさわしい強い、積極的なリーダーシップだったのではないでしょうか。

 小泉首相は過去の英霊に慰霊を念を表すよりも、国際的な英知ある行動こそ示すべきだったのです。米フアンがイチローに短打以上にリーダーシップとコミュニケーション力を期待しているように。小泉首相の靖国行動は自己認識のズレとコミュニケーション力の不足をつくづく感じました。

もう1つ、小泉首相の政治センスをはっきり示したのはアメリカ訪問で、米政府から上下院議会での名誉あるスピーチをもとめられながら、これを断わって、プレスリーの故郷をブッシュ大統領とともにたずねて、サングラス姿でプレスリーの物まねを大はしゃぎでして米メディアに大きく取り上げられたことです。

 小泉首相にその見識があれば、外務省にその世界観があれば、米上下院議会での演説は世界平和への日本の貢献、国際社会での日本の存在を強くアピールするまたとない絶好のチャンスですし、小泉首相に日本を代表するリーダーであり、国際的なリーダーの自負と気概があれば断る手はありません。

 これこそ何が何でもやらねばならぬ政治的責任がありますし、われわれに日本人も米議会ではっきりものをいう首相の姿をぜひ見たいと思ったものです。

 ところが、小泉首相の望んだのは政治演説ではなく、プレスリーのおっかけの証明とはなんとも情けない限りで、私はその報道を恥ずかしくてまともに見れませんでした。

 問題はこうした小泉首相の一連の『視野狭窄』の行動、パフォーマンスをメディア、国民も歓迎していることです。朝日新聞社の8月末の全国世論調査(電話)では、小泉内閣の支持率は47%、不支持率は36%だった。在任中の平均支持率は50%で、戦後の吉田内閣以降では細川内閣(平均支持率68%)に次ぐ高い人気をキープしています。その人気の理由は「首相のリーダーシップが強くなった」が42%でトップ。「政治が分かりやすくなった」34%、などで、国民にもそのナショナリズムと内向きなし姿勢が受けているのです。

 メディアも同様で、読売新聞のキャンペーン『戦争責任』の大特集の結論で、読売は今回の戦争について、これまでの大東亜戦争、15年戦争、アジア太平洋戦争などという呼称ではなく新たに『昭和戦争』と定義しました。

 さらに、1ページの新聞の真ん中に戦場となったアジア太平洋の大きな地図と各国の上に棒グラフで戦死者の数が出ていましたが、驚いたことに日本人兵士らの数だけで、現地の兵士や住民の死者の数は載っていませんでした。

 あえて元号までつけた『昭和戦争』との命名は、日本国内だけで行われた戦争なのでしょうか。地図にしめされているように日本がアジア、太平洋の全域に戦場を拡大して、現地の住民を巻き込んで多数を殺傷し、破壊したアジア・太平洋戦争なのです。そこで被害をうけた死者の数も表示しない、取材しないというのはメディアの責任の放棄ではないでしょうか。

 小泉首相と同様、グローバルな視点やアジアへの目線、被害者への思いやりが全く欠落したミーイズム、内向きの姿勢にメディアも染まっているのです。

 コミュニケーションの基本は情報の送り手と受け手によるメッセージのキャッチボールです。こちらの情報(言葉・行動)に対して、相手が反応して情報を送り返してくる。相手の情報をフィードバック、読み取って、自分が投げる情報を変えて軌道修正していく。コミュニケーションを成立させるためには絶えず相手の反応を正確に読解して、こちらも軌道修正していくことが求められます。相手がどう思っているかを正確につかむことが大切で、とくに外交コミュニケーションの場合は独りよがりのミーイズムを避けねばなりません。

 『美しい国へ』(安部晋三著・文春新書)がベストセーラーになっており、日本を世界から尊敬される国にすることが、小泉首相や自民党の1つのキーワードになっているようです。これもコミュニケーションの基本と少しずれているなとおもいます。

 自分で『美しい国だろう』『自分を世界は尊敬すべきよ』と声高に言う前に、黙って『尊敬される国、人物になろう』と謙虚に、陰徳を積むのです。黙々と貧しい国や飢餓で苦しむ人々を助けて、陰徳を積んでおれば、自然と周りからは評価されてくるのです。幼児がよく自分のほうから「お母さん見てみて・・・」と自己顕示欲丸出しの行動をしますが、大人の政治家の世界に通用する行動学をもつべきです。

 そんなことを考えていると、「日本は貧しい国に対する開発、貢献度では先進国(21ヵ国)中で最低、最下位」(8月14日)というショッキングな記事が目に飛び込んできました。米シンクタンクの世界開発センター(CGD)などの貧困国に対する開発貢献度指数(CDI)調査で、開発援助、貿易、安全保障、技術移転など7項目を採点し、トップはオランダ(6.6点)、2位はデンマーク(6.4点)。日本は3.1点と、20位のギリシャ(4.0点)にも大きく差をつけられて、4年連続の最下位というものです。

「コメ、農産物貿易の閉鎖性」「外国人労働者を受け入れない」「国連などの平和維持活動に参加しない」などが理由で、日本人の自己評価と、世界の見る目の大きなズレを示しています。

(元毎日新聞東京本社、情報調査部。 著書「兵は凶器なりー戦争と新聞(1926−1935)、「言論死して国ついに亡ぶー戦争と新聞(1936−1945) 「メディアコントロールー日本の戦争報道」など多数。」

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