前坂 俊之/ 静岡県立大学国際関係学部教授 /メディアの死んだ日06/02/15


メディアの死んだ日

前坂 俊之

 戦後60年、還暦を迎えた昨年は時代の暗転させる事件が次々に起こりました。小泉首相の靖国神社参拝問題、歴史認識をめぐって隣国との和解の最後のチャンスを逸し日中、日韓関係は戦後最悪に冷え込み、国連安保理常任理事国加盟問題で当然のごとく失敗しました。

  米国の対イラク戦争では憲法での海外派兵の禁を破って、戦後初めて自衛隊を送り出し、次なる憲法改正を視野に入れながら『普通の国』という名の「戦争のできる国」へ脱皮が急旋回に進められました.

 相次いで国民保護法案なる有事法制、在日米軍の再編、改憲論議も具体的日程で着々と進められ、歴史の歯車を逆転させる危うい兆候を強く感じます。こうした政治状況の中で、メディア界は3重の大津波にさらされました。

 1つはメディアをコントロールしようとする政府、外部企業からの圧力です。戦争、テロとの戦いという名のもとに、有事法制で放送局は公共指定扱いとなり、言論、放送の自由は制限される事態となり、個人情報保護法、人権擁護法案、国民投票法案、共謀罪、再販指定撤廃問題などメディアにとって津波が次々に押し寄せてきています。

 2つ目はそうした迫り来る巨大津波を前にしながら、NHKの従軍慰安婦放送問題をめぐる朝日、NHKの対立に象徴されるようにメディア相互の批判、対立が決定的となってきたことです。メディアによるメディアコントロール(情報統制)です。メディアの命である言論、報道の自由のために、対立を超えて手を携えて一斉に砲列をしく決意が必要なのに、いがみ合い、度をこした足の引っ張りあいをやっている状態です。メディアの自壊過程そのものであり、言論、報道の死に至る病は、民主主義社会の崩壊へとつながってきます。

 3つ目は楽天によるTBSの買収問題にみるごとく、外部企業、IT企業によるメディアの買収、支配の手がこのところ一挙に巨大な波となり、メディア界を襲っていることです。テレビ、新聞、出版などのオールドメディアは漸次、衰退するか、淘汰されるか、他社に飲み込まれていく、メディアの変遷、融合現象が現れています。時間的な長短はあってもいずれIT企業が新しいメディア界の覇者となることは間違いありません。

 こうした末期的な状況の中で、メディア関係者、ジャーナリストたちの態度はどうなのでしょうか。現実を批判せず沈黙に終始する姿勢、現実追従主義と傍観主義のメディアが増えてきました。記者会見でも鋭い質問もしないおとなしく行儀よいペットドック(愛犬)化した記者たちが目立ちます。
  無気力でジャーナリストの職業意識の欠落。自社のみ、自己のみ生き残ればよいとするサラリーマン的利己主義、また自己には自嘲的、他のメディアに対しての冷笑的態度が目立ってきました。いつか目にした「メディアの死んだ日」メディアの自殺、ご臨終への転落の日々を目にして苦々しさを感じます。

 いまこそプロフェッショナルなジャーナリストが求められています。プロとしての高度な知識と問題意識、取材力を有して、真実を追究するという職業倫理と良心を持ったサラリーマン記者ではなく、プロのジャーナリストです。

 この国の失敗はあらゆる職業でサラリーマンばかりがいて、真のプロフェッショナルがいないことではないでしょうか。

前坂俊之(静岡県立大学国際関係学部教授、メディア論専攻)、元毎日新聞記者。
近著に『メディアコントロールー日本の戦争報道』(2005年刊、旬報社)
「兵は
凶器なり」「言論死して国ついに亡びる」(1991年、社会思想社、)などがある。

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     前坂 俊之  06/02/15


メディアの死んだ日

        前坂 俊之

戦後60年、還暦を迎えた昨年は時代の暗転させる事件が次々に起こりました。小泉首相の靖国神社参拝問題、歴史認識をめぐって隣国との和解の最後のチャンスを逸し日中、日韓関係は戦後最悪に冷え込み、国連安保理常任理事国加盟問題で当然のごとく失敗しました。
米国の対イラク戦争では憲法での海外派兵の禁を破って、戦後初めて自衛隊を送り出し、次なる憲法改正を視野に入れながら『普通の国』という名の「戦争のできる国」へ脱皮が急旋回に進められました。

相次いで国民保護法案なる有事法制、在日米軍の再編、改憲論議も具体的日程で着々と進められ、歴史の歯車を逆転させる危うい兆候を強く感じます。こうした政治状況の中で、メディア界は3重の大津波にさらされました。

1つはメディアをコントロールしようとする政府、外部企業からの圧力です。戦争、テロとの戦いという名のもとに、有事法制で放送局は公共指定扱いとなり、言論、放送の自由は制限される事態となり、個人情報保護法、人権擁護法案、国民投票法案、共謀罪、再販指定撤廃問題などメディアにとって津波が次々に押し寄せてきています。

2つ目はそうした迫り来る巨大津波を前にしながら、NHKの従軍慰安婦放送問題をめぐる朝日、NHKの対立に象徴されるようにメディア相互の批判、対立が決定的となってきたことです。メディアによるメディアコントロール(情報統制)です。メディアの命である言論、報道の自由のために、対立を超えて手を携えて一斉に砲列をしく決意が必要なのに、いがみ合い、度をこした足の引っ張りあいをやっている状態です。メディアの自壊過程そのものであり、言論、報道の死に至る病は、民主主義社会の崩壊へとつながってきます。

3つ目は楽天によるTBSの買収問題にみるごとく、外部企業、IT企業によるメディアの買収、支配の手がこのところ一挙に巨大な波となり、メディア界を襲っていることです。テレビ、新聞、出版などのオールドメディアは漸次、衰退するか、淘汰されるか、他社に飲み込まれていく、メディアの変遷、融合現象が現れています。時間的な長短はあってもいずれIT企業が新しいメディア界の覇者となることは間違いありません。

こうした末期的な状況の中で、メディア関係者、ジャーナリストたちの態度はどうなのでしょうか。現実を批判せず沈黙に終始する姿勢、現実追従主義と傍観主義のメディアが増えてきました。記者会見でも鋭い質問もしないおとなしく行儀よいペットドック(愛犬)化した記者たちが目立ちます。無気力でジャーナリストの職業意識の欠落。自社のみ、自己のみ生き残ればよいとするサラリーマン的利己主義、また自己には自嘲的、他のメディアに対しての冷笑的態度が目立ってきました。いつか目にした「メディアの死んだ日」メディアの自殺、ご臨終への転落の日々を目にして苦々しさを感じます。
いまこそプロフェッショナルなジャーナリストが求められています。プロとしての高度な知識と問題意識、取材力を有して、真実を追究するという職業倫理と良心を持ったサラリーマン記者ではなく、プロのジャーナリストです。

この国の失敗はあらゆる職業でサラリーマンばかりがいて、真のプロフェッショナルがいないことではないでしょうか。

前坂俊之(静岡県立大学国際関係学部教授、メディア論専攻)、元毎日新聞記者。
近著に『メディアコントロールー日本の戦争報道』(2005年刊、旬報社)
「兵は
凶器なり」「言論死して国ついに亡びる」(1991年、社会思想社、)などがある。