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●石川文洋/報道カメラマン/自衛隊は必要ない/ 06/03/15

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自衛隊は必要ない/石川文洋/報道カメラマン/ 06/03/15

 

    自衛隊は必要ない

 

      石川文洋(報道カメラマン)

 

 私は軍隊がある限り戦争はなくならない、戦争は民間人を犠牲にする、軍隊は民間人を守ることはできない、と確信しています。

軍隊である自衛隊は必要ないと思ってきました。憲法九条を改憲しなくても日本には軍隊は存在していたのです。多くの人はそのことに気づかないふりをしていたように思います。

 

 戦争は反対だ、しかし、自分の国を守るためには自分たちの軍隊が必要と考えている人は多いと思います。私がそれでも軍隊は必要ないと言いますと、では他の国から攻撃された場合、どのようにして国を守るのかと聞かれます。

 

軍隊がまったくない国に対し、いきなり攻撃する国はない、攻撃を受けるような問題に対しては徹底的に話し合いで解決すべきだ、というのが私の考え方です。でも、それは理想論だと言われ、あまり賛同を得られていません。それでも、戦争の悲劇を見てきたカメラマンとして、これからも理想論を通していきたいと思っています。

 

 1943(昭18)年、5歳の時に沖縄から本土に移ってきたので沖縄戦の体験はありません。敗戦前の1944(昭19)年に千葉県船橋市の八栄小学校に入学しましたが、毎日の朝礼では皇居の方向への宮城遥拝がありました。また、教室に頭に角が生えて赤鬼のような顔をしたアメリカ兵のポスターが張ってあったのを覚えています。

 船橋市に空襲はなかったのですが、1944年、学童疎開で沖縄から鹿児島へ船で渡ってきた兄を母と共に迎えに行った時、静岡市で空襲に遭いました。全身火傷の人々が次々と列車に運び込まれてきた時の状況が目に焼きついています。

 

1957(昭32)年、14年ぶりに沖縄へ帰った時、祖母や曾祖母から手を取り合って戦火の中を逃げ回ったこと、祖父の死など沖縄戦の様子を聞きました。その後、沖縄、サイパン、テニアンでの集団自決生存者を取材していくうちに沖縄、南洋群島での民間人の悲劇は日本軍がいたために起こったことを強く感じました。

 

 日本軍は民間人を守ることができなかったばかりか、スパイ容疑をかけられて日本軍に殺された沖縄人も少なくなかったのです。もし、今後、沖縄がどこかの国から攻撃を受けることがあった場合、それはアメリカ軍、自衛隊の基地の存在が原因になるだろうと思っています。

 

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 ベトナム戦争ではアメリカ軍によって村が攻撃され、農民や子どもが死傷していく状況を何度も目の当たりにしました。ビンディン省の或る村の例を挙げますと、村にベトコン(解放軍)がいるという情報でアメリカ兵たちが村を包囲しました。

 

そして、まず2機の戦闘機が村に爆弾とナパーム弾を投下、機銃掃射しました。戦闘機が去ると今度は一分間に6,000発発射できる機関銃とロケットを装備した2機の武装ヘリコプターが村の上をぐるぐる回りながら攻撃を加えました。

 

 

(写真/ベナム戦争/少年の血は乾いた大地に吸い込まれた。/撮影・石川文洋)

 

 包囲された村には子どもたちも多勢います。しかし、軍隊という組織は命令が下るとそこに民間人がいても徹底的に攻撃する。それは太平洋戦争での東京大空襲、広島、長崎の原爆投下、日中戦争での日本軍による重慶爆撃と同じです。

ベトナムの農村への空からの攻撃の後、兵士たちと共に私も村に入りましたが、そこで見たのは傷つき死んでいる民間人、燃える農家、倒れている牛など悲惨な状況でした。

 

 ベトナム各地でこのような攻撃が続いたために200万人以上の民間人が犠牲となったのです。解放軍も民間人を守ることはできませんでした。

カンボジア、ボスニアの戦争でも兵士によって殺された民間人の姿を見ました。アフガニスタンの病院には地雷、不発弾で傷ついた子どもが大勢いました。ソマリアには栄養失調でやせ細った子どもたちがいました。いつの時代でも大人たちが起こす戦争によって子どもたちが犠牲になっているのです。

 自衛隊を軍として認め、交戦を認めようとしている改憲にはもちろん反対ですが、現在の自衛隊の存在そのものが違憲であることを訴え続けたいと思っています。

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