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山本耕二/写真家 /「アウシュビッツで思うこと」/06/05/01

 

 

      アウシュビッツで思うこと        

                     写真家 山本耕二

 

 ポーランドの古都クラクフから西に向かって、わずか60キロに位置するアウシュビッツ強制収容所跡(現オシフィエンチム博物館)は、第二次大戦当時、ナチスによって行われたユダヤ人等多くの人々の虐殺の場として、その名を歴史にとどめた。

 アウシュビッツで行われた恐るべき大虐殺が、現在にまで語り継がれるのは、関係国が、歴史の事実を風化させないように努力してきたからである。特に当事国であったドイツは、ナチスの犯罪追及を続けただけでなく、近隣諸国との和解を得るために持続的な努力をしてきた。ポーランドもまた、未来を築くために加害国のドイツを受けいれた。無料で公開されている収容所跡の管理維持費の負担ひとつにしても相当な額に及ぶ。しかし、そうした相互の努力ゆえに、年間60万人にも及ぶ世界中からの見学者は、60年前に人類の犯した犯罪を、現存する記憶として受け継いできたわけである。

 

 収容所跡の撮影をしている時に、多くのドイツ人青年が、収容所の施設補修のボランティア活動に来ていることを知り、彼らの宿泊先である国際青年集会センターに泊めてもらうことになった。そこには4組のグループ、約60人のドイツ人の学生が泊まっていた。引率のリーダーは、30~40歳くらいのとても知性的な人たちであった。私が同行したグループは、ドイツの中部にあるハノーハーの工業専門学校の学生で、約1週間の予定で、収容所跡の鉄柵の補修や草取りのボランティア活動をするためにやってきた。夏の炎天下の作業は結構きついが、汗だくになりながら草取りに励んでいた。私とドイツとの関わりは30年におよぶが、こうした青年と一緒に行動するのは初めてだったので、感心もし、ちょっと驚きでもあった。「やっぱり世の中捨てたものではないなあ・・」と。

 日本の青年が駄目などと言うつもりは毛頭ない。ただこうした世界の若者を見ていると、自分たちの手で、何かを創り出そうとする姿勢を強く感じる。

 

 例えば、フランス政府が提出した青年の雇用に関する法律にたいしても、自分たちの問題は自分たちで闘おうと、全国の青年が反対闘争に立ち上がり、この法律を撤回させたエネルギーは頼もしい限りだ。フランスでは高校生、大学生、労働者の政治意識は高く、社会的行動への参加は当然の権利である。

   

 アジア諸国の青年が、日本軍によるアジア侵略の歴史を良く知っているのに比べ、日本の若者は、あまりにも自国の歴史を知らなすぎる。日本政府が、憲法を変えてもアメリカの要請のままに、海外派兵までも「自由化」しようとしている現在、自分たちの国の歴史を、自らの力で創るという気概だけは忘れずに持ち続けたい。

 

写真説明1:アウシュビッツ第2収容所(ビルケナウ)

写真説明2:夏の炎天下、汗だくだくになりながら、収容所跡の草刈をしていたドイツの学生たち。このページのあたまにもどる