戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)

海外旅行・中国東北部(2012年)① 17/05/07

明日へのうたより転載

 09年の韓国に続いて、新聞OB九条の会がたびせん・つなぐとタイアップして企画した海外ツアー第2弾。今回は中国東北部(旧満州)の中心部を5泊6日で回る。新聞の石坂、石塚、今井、岩田夫妻、岩月夫妻、狩野、河合、小林豊、斉藤哲、斉藤康、清水、田原、戸塚夫妻、平沼、藤木、山川、それに出版の生駒夫妻、元日立争議団の篠田夫妻の計23人。添乗員はたびせんの荒井恵梨香さん。

 6月26日13:25に成田を発って15:30(現地時間)にハルピン空港着。空港を出ると大型バスが待っていてハルピン医科大学に直行。ここでメンバーの1人今井茂冨さん(東京中日)が会社定年後7年間日本語教師をしていた。ちょうど卒業式にあたり、構内は角帽にガウンの卒業生でいっぱい。

 大学食堂の特別室で先生や生徒たちと交流会。今井さんはおおもて。おれは団長として「日中友好の活力になるよう願う」と挨拶した。「雪花」という銘柄のハルピンの地ビールで乾杯。6台のテーブルに分かれて飲み、食い、交流の時間を過ごした。ハルピンの宿舎は繁華街に近い崑崙大酒店。

 2日目は朝早くホテルを出てまず七三一記念館へ。正式名称は「中国侵略旧日本軍七三一部隊遺跡」。ここで日本軍は中国人を使って細菌の生体実験をした。ガイドの説明を聞いておれが腹立ったのは、ここで悪業の限りを尽くした石井四郎らが敗戦直後さっさと日本に逃げ帰ったという話。おれたちは敗戦後1年間帰るに帰れず辛酸をなめた。しかも石井は米軍に実験資料を差し出したため戦犯にもならなかった。

 午後はソフィア教会を見た後、キタヤスカヤと呼ばれる中央大通りを散策。松花江のほとりのスターリン公園で一休みした。夜はロシア料理のちょっと高級な店へ。ワインの高かったこと。

 翌28日は列車で長春へ移動する日。ホテルを出てトランクを転がしながらハルピン駅へ。石畳の道はデコボコだし、交差点の信号はあてにならないし、駅に着くまでが命がけ。しかし、列車の旅は快適だった。約2時間後に長春に着く。緑の多い長春は仙台市と姉妹都市だ。

 昼食後「偽満皇居博物館」へ。玄関に「勿忘九・一八」のばかでかい石碑。江沢民の書だ。ここで皇帝溥儀が暮らしたが、日本軍が用意した玉座には決して座ろうとしなかったという。一寸の虫にも五分の魂というところか。溥儀は日本敗戦後戦犯として服役、出所後は一般市民として暮らし61歳まで生きた。