戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)「壁」で思い出すこと 17/01/28

明日へのうた]より転載

 トランプ米大統領はメキシコとの国境に本気で壁をつくるらしい。国境を隔てる壁というと歴史的に有名なのは「ベルリンの壁」だろう。「ベルリンの壁は、第二次世界大戦後に東西に分割された敗戦国ドイツの首都ベルリンで、東ドイツによって1961年夏に建設された壁である」(ウィキペディア)。

 ベルリンは東ドイツの領内にあり、その西半分だけが西ドイツとされた。戦後しばらく東西ベルリンは自由に往来できた。そのため毎年多くの人が東ドイツを逃れて西に流れた。それを嫌った東ドイツ政府は1961年8月、突如西ベルリンの周囲を有刺鉄線で遮断し、それが後にコンクリートの壁になった。

 壁は高さが3m60cmから4m20cm。足場や掴まるところのない構造だ。壁は二重にはりめぐらされ、間に60m程の空きスペースが設けられた。逃亡者を逃さないためである。それでも壁を乗り越えたり地下道を掘ったりして越境する事件が頻繁に起こった。警備する軍に射殺された人も多い。

 このようにして長い間壁は「ドイツ分断と東西冷戦の象徴とされてきた」(ウィキペディア)が1989年11月、いわゆる東欧革命の嵐の中で市民の力によって破壊される。壁に乗ってハンマーで壊している若者の写真が日本の新聞にも載った。どんなに頑丈に見える壁も歴史の流れにはもろいものだ。

 おれは壁崩壊10カ月後の90年9月24日、壊された壁に面したビルの2階の東独印刷製紙労組の事務所を訪問した。組合副議長氏から「みなさんがわが労組を訪問する最後のお客さんです」と歓迎された。東西ドイツは10日後の10月3日に統一、組合は西ドイツのメディア労組に吸収される。

 組合事務所を辞すると暗い空から冷たい雨が落ちてきた。壁の残骸が瓦礫となって積み上げられてあった。おれは手ごろなコンクリート片を拾ってポケットにしまった。街を回ると壊されずに残されてある壁もあって、色鮮やかなイラストが描かれていた。有名なフルシチョフとホーネッカーがキスしている壁画も見た。もう通行自由になったウィンデンブルグ門を通って西ベルリンに入ったが車の洪水だった。

 トランプ大統領のメキシコ国境の壁だが、どんな高さでどんな構造になるのかはよく分からない。分からないけど、コンクリート壁なんかで国が守れないことは確かだ。対等で誠意ある話し合いが必要なんだとおれは思う。