戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)昨今の電通叩きと荒川恒行さん 16/10/31

明日へのうた]より転載

  広告独占の電通が叩かれている。長時間労働とパワハラで過労自殺まで引き起こした企業に厚労省は「時短優良マーク」を与えていた。NHKの国会討論会で共産党小池晃書記局長に追及されて、当時の担当大臣だった田村憲久氏が「反省」したという。(31日付『赤旗』)。

 大体、電通には労働組合があるのか、という声も聞こえる。ある。連合にも全労連にも加盟していないが、MIC、広告労協の主力組合である。電通労組というとおれの頭にすぐ浮かぶのは荒川恒行さんだ。荒川さんとは70年代初めからの付き合い。トルコやスペインに一緒に旅行もした。

 1935年生まれの荒川さんは、59年に学習院大学政経学部を卒業してその年に電通入社。63年に組合代議員になったことがきっかけで組合運動に入り込む。職場新聞「アルファ」の編集長から64年には電通労組本部執行委員長になる。そして広告労協議長、MIC事務局長と会社の仕事をしながらの労働組合活動を電通定年退社の91年まで続ける。小さい身体だったが、やることは精力的で実践派だった。

 荒川さんが組合活動家と5人で都労委に昇格差別是正の不当労働行為事件を申し立てたことがある。申立は72年。荒川さんはこの申立についてMIC編集の遺稿集「私の電通」で次のように述べている。

 「5人はそれぞれ家族や親しい仲間などとも相談し、後顧の憂いのないよう万全の態勢をとった。というのも当時の私たちは、労働委員会の何たるかもろくに知らない素人集団であり、まして家族などから、『会社と裁判で争うなどとんでもない』といった意見や、『裁判闘争となると長い年月がかかるのではないか』、あるいは『やってもいいが、ほんとに勝てるのか』といった様々な疑問や怖れがあったからである。

 いろいろ悩んだ都労委闘争だったが、たたかいは2年ちょっとで勝利する。会社が和解に応じて全員の副部長昇格を認めた。おれが都労委委員になる3年前だ。

 荒川さんは電通定年後映画の「にっかつ」で新たな仕事に取り組んだが94年に退社。その数年後、杉並区西荻窪の自宅を大改装。エレベーター付きの3階建てだった。佐藤一晴さん夫妻と新居に招待されたことがあった。そこで数年過ごしたのかな、2005年11月9日に70歳で亡くなられた。もし存命なら昨今の電通叩きにどんな感想を言うのだろうか。話を聞いてみたい気がする。