戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)福岡高裁那覇支部多見谷裁判官に注目 16/09/18

明日へのうた]より転載

 前回ブログで福岡高裁那覇支部の多見谷寿郎裁判官を「年齢は分からないが若いのだろう」と書いたが大いに認識不足だった。1984年4月に大阪地裁判事補で任官した57歳。判事補から判事に昇格したのが94年4月で任地は東京地裁。以後宮崎、福岡、名古屋、千葉と異動しているが東京が一番長い。

 福岡高裁那覇支部に赴任したのは2015年10月30日付。国が翁長知事を相手取って「辺野古代執行訴訟」を提起する半月前のことだ。11月18日付配信の琉球新報デジタル販は「多見谷氏、辺野古代執行訴訟指揮へ」「成田訴訟など担当」と報じている。多見谷氏は千葉地裁当時、成田空港会社が土地所有の男性と交わした賃貸契約を一方的に破棄し土地を取り上げることを容認する判決を出したという。

 同年11月19日付配信の日刊ゲンダイデジタル版は「安倍政権が露骨な人事」「沖縄代執行訴訟に〝体制寄り〟裁判官」とのタイトルで「判決は住民寄りではない」「体制寄りの判決を下す、ともっぱらの裁判官です(司法ジャーナリスト)」「そんなヒラメ裁判官が、よりによってこのタイミングで那覇志部長に就いたのだ。県民じゃなくても『怪しい人事』に見えてしまう」と指摘している。

 まったく三権分立をないがしろにする国の人事発動だが、多見谷寿郎の経歴をネットで調べていてオヤッという事件が目に付いた。彼は01年4月1日から04年3月31日まで東京地裁判事を務めているのだが、この在任期間中に石川島播磨賃金身分差別(武蔵工場)事件を担当していたのである。

 1999年暮れに提訴した同事件は審理中の02年10月、会社作成のマル秘文書「ZC管理名簿」が明らかになり朝日新聞が紙面に取り上げた。ZCとはコミュニスト・ゼロの意で露骨な思想差別文書だった。この文書が裁判所に提出されるや担当の多見谷裁判長は即座に和解を勧告し、渋る会社側を話し合いのテーブルにつけさせた。それからの和解交渉は争議団ペースで進み04年3月、和解成立に至った。

 和解内容は争議団の完全勝利であった。この事件で多見谷裁判長は何故強引に和解を推し進めたのか。マル秘文書で会社が妥協を強いられることが分かり切っていたのに・・・。そこには一企業のメンツとか労務政策への支障などを犠牲にしても事を納めるべきだとの判断があったと見るほかはない。

 石播は軍事産業の中枢を担う国策会社である。これ以上紛争を長引かせたくないという国の意向が働いていたように今にして思う。沖縄の今後と多見谷寿郎の動きに注目していきたい。