戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)震災、原発から5年半の福島へ行ってきた 16/09/09

明日へのうた]より転載

 新聞OB九条の会で2泊3日の福島原発被害視察ツアーを主催し団長として行ってきた。このツアーで個性豊かな3人の男性と1人の女性の話を聞いた。福島浜通りは大震災と原発事故から5年半、大変だ!大変だ!と叫んでいればいいという時期はとっくに過ぎて、どう生きていくかの決断を迫られている。

 最初に会ったのは川内村の遠藤村長。おれには40歳後半に見えたが聞いてみたら61歳。村役場の会議室でプロジェクターを操作しながら1時間ほど一気に話した。川内村は隣接した楢葉町、富岡町、大熊町に比べると拡散した放射線量が少ない。事故後の風向きのせいのようだ。だから事故直後から国や東電から「戻っていい」と言われた。しかし半分も戻っていない。生活の基盤がないからだ。

 おれたちは村役場の人の案内で周辺を視察した。スーパー、病院、特養ホーム、観光施設、誘致工場などがどんどん建てられていた。多分ハコモノをつくると国からの補助が出るのだろう。遠藤村長は言う。「どんなに建ててもそこて働く従業員がいないのです。時給1000円で外国人や近隣から集めています」。やはり復興はモノでなくヒトということになるんだろうな。それは福島全体にも言えるようだ。

 一日目の宿は漁港松川浦の「夕鶴」。夕食交流会に酒2本を下げて顔を出してくれたのが「生業を返せ、地域を返せ!福島原発訴訟」(なりわい訴訟)の中島原告団長。スーパーを経営しているという元気のいい商売人だ。内容的にはかなり深刻な裁判なのだろうが、たたかう中島さんには暗さが見えない。

 2日目午前、小雨の中を野馬土農産物直売所へ。ここは2年前にも来た。農民連の三浦さんが2年前と同じ調子で現状を説明してくれた。TPPにはもちろん反対だが、あんなものもし成立してもむしろ自由貿易を阻害するだけだ、と意気軒高。バスで浪江まで同行したがこちらまで元気にならせてバスを降りた。

 最後は浪江などこの地区の全教婦人部長の大貫先生。先生は最近定年になったのだが全教の組合員がいなくなったので続けて婦人部長なのだそうだ。浪江の海岸、駅前通り、廃校になった小学校などを案内してくれたが、途中ポリスの妨害にあってもびくともしない根性が凄い。――宿は福島市郊外の穴原温泉。

 最終日は市内のさくら保育園へ。5年半というとゼロ歳児が卒園するワンクール。見たところ200人ほどの園児たちは「震災を知らない子どもたち」ということになる。フクシマを風化させてはいけないと痛感した3日間だった。