戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)殺された被害者の名をなぜ出さないのか16/08/06

明日へのうた]より転載

 寿限無という落語がある。大事な我が子に御隠居さんの薦めでつけた名前は「じゅげむ じゅげむ ごこうのすりきれ かいじゃりすいぎょの すいぎょうまつ うんらいまつ くうねるところにすむところ やぶらこうじのぶらこうじ ぱいぽぱいぽのしゅーりんがん しゅうりんがんのぐーりんだい ぐーりんだいのぽんぽこぴーの ぽんぽこなーの ちょうきゅうめいのちょうすけ」という。

 71年目の原爆記念日。今年も5000人余の名前を記した名簿が納められた。――「(女優杉村春子が朗読劇の中で)ひときわかみしめるように読み上げる言葉があった。(原爆で死んだ)生徒たちの名前だ。1人1人が残した声を心の碑に刻もうとするように聞こえる」(8月3日付『毎日』余碌欄)。

 相模原市の障害者施設で起きた大量殺傷事件。今回の事件はかつての秋葉原・無差別殺傷やパチンコ店焼打ちなどと違って、障害者への差別思想をに基く「ヘイトテロ」ともいうべき殺人行為という点に特徴がある。「昨今の世界で相次ぐテロにも通じるヘイトクライム(憎悪犯罪)とも思える」(7月27日付『毎日』)。

 メディアは当然この事件を大きく取り上げたが、おれが違和感を持つのは、加害の容疑者側の情報量に比べて被害者たちの情報が極端に少ないということだ。殺害された19人の名前の発表もない。警察が名前を伏せているとも聞くが、メディアで調べれば分かることだろう。あるいは遺族の意向なのかも知れないが、納得できない。ついこの前のバングラ・テロの際は被害者は顔写真入りで報道された。

 名前を出さないということが、被害者が障害者であることに理由があるとしたらそれ自体が障害者差別になるのではないか。たかが名前というかも知れないが、名前はその人の人格の一部であり、生きてきた証しなのだ。あれだけの悲惨な殺され方をして名前も出してもらえないとしたら、死者は浮かばれまい。

 7月27日付『毎日』は、無事だった息子を持つ母親の話を載せている。「施設はよく面倒を見てくれ、問題が起きたことはなかった。家族にとって安心できる施設というイメージしかなかった」。どうもお仕着せの口ぶりに思える。他にも入所者の家族の談話が見られるが死者の家族は一切出てこない(『毎日』と『赤旗』を見る限りだが)。とうにもおれには理解できない。

 障害をもって懸命に生きてきて、ある日突然命を絶たれた被害者が名前も出されず社会から抹殺されたような気がする。自民党の改憲草案ではないが、「個人の尊重」が削られる時代の象徴のように思われる。