戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)いせだ良子さんがんばれ! 16/01/20
1月11日付『赤旗』党活動欄。7月の参議院選挙比例区に共産党から立候補するいせだ良子さんの「私と家族と共産党」という囲み記事が載っている。いせださんは九州・沖縄が担当ブロックで、順位は8番目だという。前回は5議席だったが98年には7議席獲っているので当選の可能性もある。
「両親は党員です。週末の夜になるとほんと家に人が集まったんですよね。大変な活動をしていると思ったけど、一方で楽しそうにも見えました」というところを読んで笑ってしまった。多分会議が終わって一杯飲んでいたんだろうな。お父さんの伊勢田さんはそういう人柄なのだ。
80年から90年代にかけて、伊勢田さんは西日本新聞労組の推薦で新聞労連中央執行委員を務めていた。おれも法規対策部長で中執メンバーだったので会議はいつも一緒だった。特に90年からのフクニチ新聞の倒産争議では弾圧対策副部長の伊勢田さんと寝食を共にする濃い付き合いをした。
右翼の親玉頭山満の流れを汲むと自称する頭山立国という男がフクニチ新聞社を買い取り、社屋を売却して資産を持ち逃げしたのが90年4月。頭山社長は裁判所に和議申請したまま姿を消した。それからの2年間、フクニチ労組は地域の読者や新聞労連の援助を受けながら自主生産で新聞発行を続けた。
おれは月に1回は福岡に飛んで対策会議や弁護団との打合せ、債権者との折衝などに奔走した。その日の用事が済むと伊勢田さんたちに誘われて博多の街や中州の屋台に飲みに行った。朝まで飲んで早朝の市場で長浜ラーメンを食ったこともある。フクニチは92年4月にとうとう廃刊になった。
「日本共産党で働くと言ったときは」「両親は反対しました」「専従にだけはなるな」と言われ、専従になると「じゃあ候補者だけは絶対なるな」。「候補者活動をしていて、一番、3歳と6歳の子育てをバックアップしてくれているのが夫とともにその両親です」。娘の成長にまごまごする伊勢田さんが目に見えるようだ。
伊勢田さんとは現役引退後も新聞労連OBでつくっている「たまたま会」で年1回の旅行を楽しんでいる。去年11月の富士山ツアーも一緒だった。先日「たまたま会メンバーに呼びかけて娘さんの選挙カンパをしようか」と電話したら「そなんことしなくてもいいから、一票入れてくれる人を1人でも増やしてくれよ」と言われてしまった。7月には参院議員の父としてどぎまぎしている伊勢田さんを見たいものだ。