戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)アジア人の独立への夢を利用した日本 16/01/10

明日へのうた]より転載

 本10日付『毎日』書評欄。「満州国に重ねた自由と独立の夢」という見出しに惹かれて、岩間陽子という人の楊海英著「日本陸軍とモンゴル」の書評を読んだ。「満州国に重ねた自由と独立の夢」「本書は、日本の近代化、国民国家化、帝国化の過程に巻き込まれたモンゴル民族の歴史を扱っている」。

 日露戦争に日本の特別任務班として参戦したモンゴル。日本はモンゴル人に独立国家の夢を持たせた。しかし「国家としての日本は、自らの政治目的に必要な範囲でモンゴル独立運動を利用して、捨てた」「(日本は)多くのアジア人に夢を与えたと思う間もなく、自らが帝国経営を始め、彼らの気持ちを踏みにじった」。

 日本という国家はその後の太平洋戦争でも、アジア人の気持ちを踏みにじったのだが、国家と同じ立場に立てずに責任を感じて自ら命を絶った日本人もいた。バリ島の三浦襄翁である。三浦翁は1930年にバリ島に移住し、自転車屋を経営して住民に慕われた。一度帰国したが1942年、陸軍の要請でバリに戻り住民の宣撫工作に従事した。

 三浦翁は住民に「インドネシアは必ず日本軍の力で独立させるのだ。日本は決して嘘をいわない」と誓った。しかし日本の目的はインドネシアの独立ではなくオランダにとって代わる日本による植民地支配だった。三浦翁は日本敗戦直後の45年9月7日早朝にピストル自殺を遂げた。享年57歳。

 三浦翁は遺書で「私は愛するバリ島の皆様に心ならずも真実を歪めて伝え、日本の国策を押し付け、無理な協力をさせたことをお詫びします」「私が日本人皆の責任を負って死にます」と心情を吐露した。三浦翁の墓はバリ島の玄関口デンパサールの街中にある。一般の住民墓地の一角。「三浦襄はバリ人のために生き、インドネシア独立のために死んだ」との墓標とともに眠っている。

 おれは2009年2月、バリ島在住の光森史孝さんの案内で三浦翁のお墓にお参りした。新聞OBをはじめとした10数人の仲間が一緒だった。献花してお祈りしているわれわれの頭や肩を細かい雨が濡らした。

 光森さんの話では墓の回りに桜の木を植える計画があるそうだ。しかし四季のないバリ島ではたとえ桜の木が根付いたとしても花が咲くかどうか。おれはやはりバリ島の花に囲まれていた方が三浦翁も落ち着いて眠れるように思う。バリ島には戦後オランダとの独立戦争に参加した元日本兵の墓もある。