戸塚章介 (元東京都労働委員会労働者委員)お屠蘇気分でなにやら考えた 12/01/03

[明日へのうた]より転載

 2年連続で紅白歌合戦を最後まで聞かずにダウン。ワインの飲みすぎだよね。それでも元旦は子どもたちと孫に手を引かれて柴又帝釈天へ。古い達磨は持って出たが、破魔矢を忘れた。それで毎年100円出している矢納め料を出さずに済んだ。これが今年の運勢に「吉」と出るかはたまた「凶」と出るか。

 初詣の人出が例年より少なかったみたい。柴又駅前の寅さん像を背景に悠々記念写真を撮れた。この数年おみくじで「凶」ばかり引いていたお姉ちゃんが、今年は「小吉」だったと喜んでいた。もうすぐ4歳の孫は人混みをものともせず走り回っていた。いつまでこの孫と初詣できるかな。

 年賀状の中に輪転職場で5歳先輩のⅠさんのものがあった。Ⅰさんとは60年代後半から70年代にかけて組合活動の意見の違いから激しく対立した。お互いに怒声を投げつけあった。この対立は、会社が経営危機になったことがきっかけになって結局、おれたち「組合派」(Ⅰさんたちに言わせれば『アカ』)が勝って職場を制することになった。Ⅰさんは輪転職場から厚生部へ去った。

 話は飛躍するがおれは今でも毎日新聞社従業員持株会の会員(株主)である。7年前に持株会の民主化を要求して「OBの会」を立ち上げ、おれが事務局長になった。活動資金カンパを呼びかけたところ、かなりの応募があり、Ⅰさんも万を超えるお金を出してくれた。去年の暮れ、その「OBの会」を解散することになり、カンパ協力者にお知らせを出した。それを見たⅠさんがお知らせの差出人のおれに「ご苦労さん。ありがとう」の添え書きのある年賀状をくれたというわけだ。

 おれはⅠさんの年賀状を見ながら「団結って一体なんだろう」と考えた。あの職場対立の時代、「団結」が損なわれていたことは確かだ。職場の意見は「組合派」と「会社派」に分裂していた。分裂を煽ったのは会社の差別政策だった。一時は職場の執行委員や中央委員を会社派に独占された。おれも職場委員の選挙で落選の憂き目に遭った。ところが70年代半ば、情勢が一変した。

 会社が経営危機になり、会社派組合員の懐柔まで手が廻らなくなった。おれたちの「倒産反対・会社再建」の運動提起が組合員の心を捉えて多数派を奪還した。そして職場の団結も取り戻すことができた。会社派の活動家だったⅠさんはどんな心の遍歴をへて、いま、おれに「ご苦労さん。ありがとう」と言う気持になったんだろう。おれはやはり「団結」って十把ひとからげでなく「個の尊重」が基本なのだと思う。