戸塚章介 (元東京都労働委員会労働者委員)『週間金曜日』の徳間康快連載記事に思う 11/12/28
『週間金曜日』に佐高信編集委員が「飲水思源」というタイトルで連載を始めた。副題が「文化の仕掛人(プロデューサー)徳間康快」。2000年に79歳で死んだ徳間康快氏の「波乱に満ちた生涯」を描くもので、第1回は「オレはだまされた」。徳間康快の最期の言葉だという。
おれは徳間氏と直接顔を合わせたことはないが、彼とは一度かなりの近距離で切り結んだことがある。徳間氏は1973年に『東京タイムズ』社長に就任する。敗戦直後に創刊された東タイは、60年代後半に経営が行き詰まり一時ロッテ資本が入ったがそれもダメで売りに出ていたのを徳間氏が買ったのだ。
彼は幹部社員の首を切って若手を採用するというコスト削減手法で東タイの生き残りを図った。当然ながら新聞労連加盟の東タイ労組は反発する。争議状態になる。当時東京地連委員長のおれは、争議支援で新橋の東タイビルに何度か行ったことがある。そしてついに92年7月の休刊(廃刊)の日を迎える。
突然の休刊宣言に新聞労連と東タイ労組は対策会議を持った。職場占拠をしてがんばろうという声もあったが、銀行から死刑宣告された会社を再建するのは困難だということのほか、組合員がまだ若くて再就職が可能だという条件も考慮して、退職金増額要求などの条件闘争を決断した。
団交で要求を突きつけると、徳間社長は「世間に通用しない要求だ。すべてゼロ回答だ」と突っぱねた。そればかりか「新聞労連にギャーギャーいわれてこんな要求持ってきやがったんだろう」「俺は争議には慣れている。一気に捻り潰してやる。お前ら逮捕だ。押されたふりしてキンタマ蹴飛ばしてやる」と暴言を吐いた。
この話を聞いた新聞労連植上委員長と地連委員長のおれは、「そこまで言うなら本格争議ををやるしかない」と覚悟を決めた。東タイ労組嵯峨委員長も決意を固めて次の団交に臨んだところ、徳間社長は急転直下、組合要求をほとんど丸呑みして白旗を上げてしまった。
どうもこの間、顧問の秋山弁護士から新聞労連との付き合い方を教わったらしい。秋山弁護士はあの「報知争議」で完敗した苦い経験の持ち主。徳間氏の変心も見事だった。