戸塚章介 (元東京都労働委員会労働者委員)残暑きびしい能登半島を巡ってきた11/09/14

[明日へのうた]より転載

 新聞労働運動にかかわったOBたちとその家族が年に1回旅行する「たまたま会」。今年は第32回で「能登半島の旅」。2泊3日で能登半島を金沢から最突端の珠洲市までバスで巡ってきた。いい天気に恵まれた――というより「残暑に炙られた」と言った方が実感に近い。

 能登の秋祭りは9月から10月にかけて各地で催される。このお祭りには「キリコ」と呼ばれる山車が必ず登場する。珠洲市では「蛸島キリコ祭り」と呼ばれ、ちょうどおれたちの泊まった夜が祭りの最終日。

 市(村)の中心部にある高倉彦神社の境内に「キリコ」が並ぶというので見に行った。女物のどてらをまとった派手な衣裳の若者たちに担がれたキリコの勢ぞろいは壮観だった。宿舎の珠洲ビーチホテルから暗い道を30分。足は痛くなり、息も切れたが、がんばっただけの甲斐はあった。

 第2日目は、昔ながらの「揚げ浜」という方法で塩をつくる曹々木海岸を通って輪島へ。夜、宿で「御陣乗太鼓」を見せてくれた。秋田の「なまはげ」のような姿をした若者が豪壮な太鼓を打つ。戦国時代、圧倒的に優勢な上杉謙信の兵を、異様な姿と太鼓の音で脅して退散させたという伝説に由来する。

 「キリコ」や「御陣乗太鼓」といった伝統芸能は、若者にどう伝えていくかということがそれぞれ課題になっている。能登半島には大きな事業所はない。若者の多くは都会に出て行くしか生活の手段がない。「キリコ」の担ぎ手が年々減っているそうだ。観光業だけではつなぎとめるのは難しいのだろう。文化というのは、つくるには何百年、何千年とかかるが、いざ壊すとしたら脆いもの。がんばってほしい。

 32回を数える「たまたま会」。おれは16回からだがこの間常連の多くの先輩、同輩、後輩が亡くなった。思い出すままに名前をあげてみる。加藤(毎日)、大島(朝日)、小倉(東京)、重松(朝日)、萩原(山陽)、神吉(山陽)、岩松(河北)、林(共同)、尾崎(宮日)、岩切(東京)、荒川(電通)、岡宗(高知)、安塚(報知)――まだまだ彼らのお仲間入りは御免だ。とは言え、今回参加してみておれの足腰がかなり衰えたことを実感した。来年は四国だという。からだを鍛えなおしてがんばろう。