戸塚章介 (元東京都労働委員会労働者委員)「武骨」が負けて「巧言」が勝った代表選 11/08/30

[明日へのうた]より転載

 民主党代表選で野田氏が当選、政権交代後3人目の総理大臣が決まった。代表選は、1回目の投票では例の小沢氏が支持した海江田氏がトップ。テレビで実況を見ていたおれは「これは海江田さんで決まりだな」と思った。しかし2回目の投票で見事逆転を食らう。少しがっかりした。

 何故「がっかりした」かというと、政策的に野田氏は右翼で、海江田氏の方がまだましだということのほかに別の感情がある。実は海江田氏のお父さんにはさんざん酒を飲ませてもらった仲なのだ。

 お父さんの海江田四郎さんは毎日新聞の政治部記者だった。もっとも在職中の面識はない。懇意になったのは海江田さんが退職した後のこと。海江田さんは退職(当時の定年は55歳)後、武蔵野音大の教授になり、1974年からは都労委の公益委員も務めていた。77年に労働者委員になったおれを「同じ毎日出身」ということで歓迎してくれた。着任を前にして有楽町の料理屋に招待されたことがあった。

 それから87年に海江田さんが退任するまでの10年間、ずっとお世話になった、と同時におれも海江田さんをお世話した。なにしろ酒が好きで飲みだすと止まらない。夕方、一緒に和解作業をした後「戸塚君一杯いくか」とまず交通会館地下の小料理屋か寿司屋。それから新橋に出て、さらにタクシーで新宿へ。もう足元も覚束ないのに「もう一軒」という。タクシーを止めて無理やり押し込んたことが何回もあった。

 あれは箱根で委員親睦会があった翌朝、朝酒で酔った海江田さんが切符も持たずにロマンスカーに乗り込んだ。引きずり降ろすのにてこずった際、顔を殴られたこともある。しかしどんなことがあっても憎めない人だった。会長の古山さんとは意気投合し、特に事務局職員には慕われていたな。

 公益委員としての海江田さんは、本人も言っているように「人間の良心と社会の常識」をモットーにいい仕事をした。昨日の民主党代表選で、松下政経塾第1期生の野田氏に「演説の巧拙」で負けたといわれる海江田氏。おれにはあの武骨さの方が「巧言令色」より国のためになるように思える。08年になくなったお父さんの、豪快な飲みっぷりと生き方が目に浮かぶ。もし生きていて昨日の経緯を見たら何と言っただろうか。