戸塚章介 (元東京都労働委員会労働者委員)残暑と雨の安曇野へ行ってきた 11/08/27
「鈴木信幸さんの指名解雇を撤回させる会」で催した「のぶちゃん激励ひまわりツアー」に行ってきた。ほんとは「お日さま」(NHK朝の連続ドラマの題名、舞台が松本と安曇野)ツアーなのだが、チラシをつくったのぶちゃんが間違えて「ひまわり」としてしまった。「ま、いいではないか」とそのまま「ひまわり」に。
一日目は日本百名山の一つ雨飾山麓の「雨飾荘」に泊まる。一行11人。部屋も料理も風呂も最高。さんざん飲んでパタンと寝てしまった。2日目は安曇野。夜はYさんと2人だけ残って、共通の友人Uさんの家にご厄介になる。この夜も3人で清酒大吟醸を一升空けて倒れるように眠る。
朝起きると雨。この日、「てるてる坊主祭り」(正確なタイトル名を忘れた)が開かれていたが、生憎の雨で「てるてる」たちはビニール袋でカバーされてしょんぼり。なぜこの地で「てるてる坊主」かというと、童謡「てるてる坊主」の作詞者・浅原六朗がご当地北安曇郡池田町の出身だから。浅原氏の名前を冠した文学館もある。
「上原良司の石碑があるよ」と、Uさんが小高い丘の上に案内してくれた。上原は特攻隊員の遺書を集めた「きけわだつみのこえ」の中に、「明日、自由主義者が1人この世から去って行きます」という有名な言葉を遺している。この言葉を刻んだ石碑が雨に濡れながら安曇野平野を見下ろしていた。
上原良司は池田町の医者の家に生まれ、松本高校から慶応大学経済学部に進学し在学中に学徒動員されたという。おれは石碑の略歴を読みながら、「長野には『無言館』もあったな」と思いあたった。「無言館」の絵も戦没学生が遺したもの。「無言館」も「きけわだつみのこえ」も、その作者はその土地の名家、有力者の子弟がほとんどだったろう。
戦争には、赤紙1枚で引っ張られた農家の二三男をはじめ学歴もない貧乏人のせがれもたくさんいた。彼らは特攻隊にはならずにすんだかも知れないが、その多くが、例えばフィリッピンの山中で蛇や蛙を食いながら餓死した。彼らには「無言館」もなければ「きけわだつみのこえ」もない。――おれは雨に煙る安曇野平野の平和なたたずまいを一望しながら、複雑な悲しみにとらわれていた。