戸塚章介 (元東京都労働委員会労働者委員)閑話休題⑰11/08/13

[明日へのうた]より転載

 一昨日、馴染みの床屋で髭をあたられながらうとうとした。とてもいい気分。帰途、自転車を漕ぎながら「そういえば、おれは睡眠という生理現象に強いこだわりがあるな」と昔を思いだした。 

 1956年に毎日新聞東京本社印刷局に入社して、半年ほどで輪転課に配属された。週3回の夜勤があった。夜勤の日は17:30に出勤し、朝刊終了は翌朝4:30頃になった。明け方に火事があったり、外電の重大ニュースが入ったりすると6:00刷了なんてことも。

 風呂に入ってインクと油を落としビールを1本飲んで仮眠室の二段ベッドに入ると真冬でも夜が白々明け始める。そして通常は10:30、サンデー毎日の印刷日は9:00に起こされた。睡眠時間は3~4時間。仮眠室のあった旧館屋上から地下1階の輪転職場まで、半睡状態の幽霊のようなユカタ(寝巻)姿の行列が続く。「あと1時間寝かせてくれたら1000円出してもいいよ」とのぼやき。

 夕刊は午後4時頃に刷り終わったから、すぐ風呂に入れば5時には会社の玄関を出られる。仲間が誘い合ってまず有楽町のガード下。最後は池袋のトリスバーか住まい近くの赤羽の飲み屋。午前様でやっと帰宅してバタンキュー。それから夜勤の出勤時間まで12時間以上ある。前日の睡眠不足を取り戻すように眠りをむさぼった。目覚まし時計はなぜ12時間までなのだ、とわけの分からない疑問を持ったものだ。

 当時おれには「電車の吊革につかまって眠ることができる」という特技があった。もう一つは「ノートに字を書きながら眠る」というもので、ノートの字は酔っ払いの千鳥足だ。駅ホームのベンチで眠りこけて夜を明かしたこともある。10分の電車待ちをしていてベンチで眠ってしまったことも。

 電車の乗り越しでは、赤羽に住んでたころ有楽町で飲んで大宮行きに乗ったら、大宮で折り返して当時京浜東北線の終点だった桜木町で気がついたことがある。常磐線は牛久まで。

 数々のおれの「睡眠」エピソードの中で極めつけの話。もう30年くらい前かな。蓄膿症が酷くなって代々木病院に通っていたことがあった。ある日、念のためCTスキャンを撮ることになった。横になって目をつぶって安静にしろ、というからその通りしたら日頃の疲れが出て眠ってしまった。係りの医師に「困るんですよね。眠られては」とあきれ顔で注意されたのであった。お粗末。