戸塚章介 (元東京都労働委員会労働者委員)いいだもも、笹森清の追悼文を読んで思う 11/07/19
7月17日付『毎日』の「悼む」欄に最近死んだ2人の「追悼文」が出ていた。3月31日に85歳で亡くなったいいだもも氏と、6月4日に70歳で世を去った笹森清氏。「稀有の資質・才能の人(いいだ)」は評論家の来栖宗孝、「『力と行動』思い半ば(笹森)」は元毎日新聞労働記者の山路憲夫が執筆している。
いいだももは「70年安保」闘争時代、共産主義労働者党の最高幹部として過激な運動を指導した。彼らは街頭や学園・職場で暴れまくった。出版労働運動では「マスコミ反戦」がゲバ棒を振るって執行部に襲いかかったこともある。「その後は理論・政策の相違から三分裂し、それからは敗北につぐ敗北、挫折につぐ挫折の小党派に落ち込んだが意に介さなかった」と来栖氏はいうが、彼に煽られて傷ついた若者にとっては「意に介さなかった」では済まされない問題だろう。
さて「力と行動」の笹森氏の方だが、山路元労働記者は次のように言う。「(2001年に)連合会長に就任後は、『力と行動』を旗印に『21世紀連合ビジョン』をまとめ、企業内に閉じこもりがちな日本の労働運動を社会的労働運動へと舵を切ろうとした。しかし企業別組合の厚い壁に阻まれ、成果を上げられなかった」――無難な評価だがこれたけでは本質に迫っているとは言えないのではないか。
確かに、笹森会長は連合としては思い切ったことをやった。中坊公平氏を責任者にして「連合評価委員会」を発足させ、連合組織の弱点を追及しあるべき姿を探ろうとした。
2003年には、①連合を取り巻く状況は危機的である、②企業主義からの脱却を目指さなければならない、③企業内組合と地域ユニオンなどの二重加盟も検討すべきである、など画期的な内容を含んだ「企業内組合の限界を突破し、社会運動としての自立を」という標題の「最終報告」がまとめられた。
この「最終報告」は結局、連合の組織方針には反映されることなく連合内外で忘れ去られてしまった。その原因は何か。山路さんの言われるように「企業別組合の厚い壁に阻まれて」ということもあろうが、おれにはもっと本質的な「連合の労使癒着体質」が指摘されなければならないように思える。笹森氏の出身である東電労組、電力総連はまさに「労使癒着」にどっぷり浸っていたのではないか。そこから脱却できなかった、しようともしなかった、それが笹森氏の「思い半ば」の原因だろう。