戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)

記者攻撃に40年前を想起する 19/02/22

明日へのうたより転載

 東京新聞の望月衣塑子記者を名指しにした内閣記者会に対する言論妨害が問題になっている。新聞労連はいち早く南彰中央執行委員長名の抗議声明を出し、東京新聞もそれなりに反論したが、当の内閣記者会や新聞協会は沈黙を続けている。官邸に対する怯えがあるのかなと心配になってくる。

 記者クラブに対する政権側の抑圧的言動として思い出すのは40年前の「石原暴言」問題である。1977年のことだ。当時の石原慎太郎環庁長官が77年9月号の月刊誌『現代』の対談で「自分とこの新聞で没になった原稿が、共産党の『赤旗』にのる記者なんか何人かいる」と発言。これを問題にした環境庁記者クラブは「衆議一決して再三の質問書を送った」(新聞労連編「新聞労働運動の歴史」)。

 石原長官の回答はクラブの納得しがたいものだった。それどころか第3回目の回答では「記者の何人かにその種の党派性があることに言及した」と開き直り、記者の思想調査をおこなっていることもあきらかにした(同著)。クラブは即座に抗議声明を発表して石原長官の定例記者会拒否を通告した。

 新聞労連は77年10月22日開催の第60回中央委員会で「言論・思想の自由を守り、公害報道の巻き返しを許さない立場から『糾弾決議』をおこなう。続いて新聞労連、日放労、民放労連の三単産とマスコミ共闘の共同アピールを出し、環境庁記者クラブとの連帯行動の決意を表明した。

 11月12日には衆議院第一議員会館内でマスコミ共闘主催の「石原環境庁長官の記者攻撃の真相をただし、国民の知る権利を考える集会」が開かれ、福田赳夫首相と石原長官への抗議文、新聞協会への申し入れを採択した。このような抗議の盛り上がりの中で石原長官は政権内部でも浮いた存在になり、11月28日の内閣改造では再任されなかった。自らの暴言で大臣の椅子を棒に振る結果となったのである。

 石原長官とたたかい抜いた環境庁記者クラブには新聞労連を脱退した産経労組や未加盟の中日労組の組合員がおり、また公害報道でも各紙で見解の相違があった。これらの「相違を乗り越えてのこの共同歩調は、画期的なものであった」と「新聞労働運動の歴史」は高く評価している。

 今回の内閣記者会への脅迫的申し入れは、正常な記者活動への妨害行為であることはまちがいない。攻撃の的になった内閣記者会がまず毅然として権力と対峙する姿勢をとることが大切なのではないだろうか。