戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)

現天皇は戦争責任ゼロなのか 19/02/16

明日へのうたより転載

 韓国の文喜相国会議長による日本軍慰安婦問題に関する「日本を代表する首相かあるいは天皇に一度おばあさんの手を握り謝罪してほしい」という趣旨の発言について、日本共産党志位和夫委員長は12日に行われた記者会見で次のような見解を述べた(14日付『赤旗』)。

 「私たちは、日本政府として、真剣な謝罪が必要だと繰り返し言ってきました。とくに(安倍)首相が自らの肉声できちんと謝罪しなればいけないということは、強く言いたいと思います。ただ、天皇は日本国憲法で『政治的権能を有しない』となっているわけですから、そういうことはできないということは当然だと思います」。

 概ねその通りだと思うが、後段の「政治的権能を有しない」のところはちょっと違和感を感じる。「政治的云々」の条項は憲法第四条のことだろうが、正確には「国政に関する権能」であり「政治的権能」一般を指してはいない。「国政」についてもいろいろ議論があるだろうが「政治的」よりは限定された言葉だと思う。「政治的」と「国政に関する」はもう少し厳密に分けて考えるべきではないか。

 例えば慰安婦の手を握って謝罪することが国政なのかどうか。天皇はこれまでもフィリッピンはじめ日本が戦争被害を与えた国に行ってそれなりに謝罪の言葉を述べている。こんどの「元慰安婦」への謝罪はもう少し重い意味があるが、それは程度問題なのではないか。「そういうことはできないということは当然」と言い切ってしまってそれでいいのか。

 さらに志位委員長は「前天皇は、私たちは、侵略戦争の最高責任者だと考えています」「しかし、現天皇は戦争責任ということは問題にならないと思っています。在任期間中にそういう問題についてかかわったことはありませんから」とも述べている。この認識も少しどうかと思う。

 確かに前天皇はどうしようもない戦争大好き人間だったと思うが、それが侵略戦争に結びつくのは天皇制という制度があったからだ。その天皇制がいまだに引き継がれている。現天皇の時代に戦争がなかったからといって「戦争責任ということは問題にならない」と言い切れるのか。少なくとも侵略を受けた側の中国や朝鮮、太平洋諸国の国民や政府はそうは思っていない。現天皇は平和主義者だから戦争責任はないなどという議論は日本国内でしか通用しないのではないか。

 韓国国会議長発言を契機に、天皇制そのものの議論をもう一度きちんとするべきだと思うのだがどうだろう。