戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)

被災地で天皇に腕まくりされても 19/01/09

明日へのうたより転載

 本9日付の『毎日』オピニオンのページ。「象徴天皇と国民」のタイトルで3人の識者が談話を寄せている。その1人、作家の半藤一利さんは「天皇と国民の関係が強固であって初めて、皇室の務めである皇統(天皇家の血筋)の安定した継承が図られる」と述べ、平成天皇はそのために苦労を重ねたという。

 問題は象徴天皇とは何か、である。半藤さんは「元々軍人で君主であった昭和天皇は、『象徴天皇とは何か』を理解していなかったふしがある」と指摘する。それはその通りだ。でその息子の平成天皇はどうだったのか。彼は即位に際して「皆さんとともに憲法を守り、これに従って職務を果たす」と明言。まず「国民と憲法ありき」の姿勢を示した。象徴天皇とは憲法を守ることだというわけだ。

 この場合の「憲法を守る」は天皇条項のことだろう。具体的には何をどうしたのか。半藤さんは即位2年後に起こった雲仙・普賢岳噴火の際の天皇の行動を例に挙げる。「被災地を訪問された際は、上着を脱いでネクタイを取り、シャツを腕まくりして床に膝をつき、被災者と同じ目線でお話をされた」。

 このほかでは、阪神淡路などの大震災の被災地慰問、全都道府県を2回以上訪問、海外への慰霊の旅、戦没者追悼式での「戦争への深い反省」発言などを取り上げる。「こうして、天皇陛下は、お手本のないところから自らで考え抜き、国民統合の象徴にふさわしい天皇のあり方をつくられてきた」と評価する。つまり憲法の天皇条項を守り、国民との強固な結びつきを通して象徴天皇を具現したということだろう。

 半藤さんの言うことをおれの頭で理解すると、被災地で腕まくりしたり、かつて侵略したフィリピンに慰霊の旅をしたりしたことが「象徴天皇のあり方」だということになる。おれに言わせればその程度の行為は普通の国民なら普通にやっていることに過ぎない。要するに天皇が普通人に限りなく近づくことが「象徴天皇のあり方」となり、それでは特段の天皇の地位なんていらないということにならないか。

 そもそも戦後天皇制を残存させ、憲法に天皇条項を入れたのは、戦後の日本を統治するにはその方が便利だからというアメリカと日本支配層の思惑にすぎなかった、とおれは思っている。被災地の復興や戦争で迷惑をかけた近隣諸国への謝罪、平和を守る運動などは天皇に言われるまでもなくおれたち国民の運動の課題だ。天皇がおれたちに加勢してくれるというならともかく、「天皇家の血筋を守るために」天皇に腕まくりされてもおれはちっとも嬉しくない。