戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)

酒処60年が夢のよう 18/11/09

明日へのうたより転載

 10日も前の話だが、10月30日夕方水道橋へ行った。70の坂を越えたカメが女房やそのお仲間と新しい商売を始めるという。レンタルスペース「余白」と言い、要するに20人くらいは入れるスペースを自由に使わせて使用料をいただく。昼は弁当屋もやる。最近あちこちで流行っているビジネスらしい。

 お披露目会は6時半から。早めに水道橋に着いたのだが場所が分からなくてウロチョロしてしまった。幸いケータイを携帯していたのであちこち連絡した末やっとたどり着いた。30人ほどの40~60歳くらいのメンバーが集まっていて、会は面白く進行。カメもああいう仕切りをやらせるとうまいものだ。

 8時過ぎに同行の田村、赤川さんと会場を出る。お2人とも疲れているらしくそのまま水道橋で分かれる。おれはお茶の水で千代田線に乗り換え、二つ目の根津でふらりと降りる。はたちの頃から60年以上、付かず離れず通っている居酒屋「多からや」を目指す。ワインの酔いで少しふらつく。

 「多からや」は不忍通りから根津神社の方へ入る曲がり角にある。昔この近くに毎日新聞の独身寮があった。輪転の橋本さんや前田、それから写真製版の柳澤さんが住んでいた。ヤナさんはおれのふたつ先輩だが、気兼ねのない間柄。飲み潰れるとヤナさんの部屋に泊まった。この部屋が並の部屋ではない。汚いとか散らかっているとかはまあいいとして、部屋そのものが傾斜しているのだ。真ん中に寝たつもりでもいつの間にか二人とも隅に転がって折り重なるようにして寝ている。

 一度世界情勢をどう見るかで論争して、ついに根津神社の境内で取っ組み合いになり、おれはヤナさんにシャツを破かれたことがある。その夜も折り重なって寝て翌朝起きてみるとヤナさんはもう出勤していて、枕元に彼のワイシャツが置かれてあった。「根津神社の決闘」として今でも語り草になっている。

 その頃はしご酒の最後に飲んだ店が「多からや」だ。ここからなら這ってでも寮へ帰れる。50歳過ぎのおかみさんが1人で店を切り盛りしていた。午前零時を回って閉店近くなるとおかみさんもぐいぐい飲んで管を巻く。その足元に10歳前後の男の子がまとわりついていた。その子が今の「多からや」のマスターである。もう70歳になる。包丁さばきは母親をしのぐ腕前に成長。ヒラメの刺身なんか絶品だ。

 そう言えば橋本さんも前田も亡くなった。その夜のおれはマスター相手に、奥さんに先立たれ施設に入ったヤナさんの話をしながら、ヒラメのエンガワ、鯛、マグロで、熱燗2合徳利をあけたのでした。