戸塚章介 (元東京都労働委員会労働者委員)宮部みゆき著「蒲生邸事件」を読んで
10/08/25
「蒲生邸事件」は文春文庫で解説も含めると686ページ。時間旅行の物語である。主人公・尾崎孝史(18歳)は、1990年代半ばから60年ほどさかのぼって1936年2月にタイムスリップする。36年というとおれが生まれる1年前の年、2.26事件のあった年だ。物語はまさにその2.26事件の真っ只中で展開する。
奇想天外なストーリーだが、現実感・納得性がある。主人公と一緒におれも時間旅行をしている気分になっていく。さすが当代随一のストーリーテラー宮部みゆきだ。
元陸軍大将蒲生憲之の屋敷には下男や女中が働いている。女中は2人いて若い方のふくは20歳を少し超えた働き者だ。孝史はふくに恋心に近い感情を持つ。ふくには川崎の造船工場で働く勝男という弟がいる。来年徴兵検査だ。孝史は偶然勝男からふくに宛てた手紙を読む。
「姉さんお元気ですか。この前の便りから、ずいぶんとあいてしまひました。自分はとても元気ですが、寒いときですからね姉さんはもしかしたら風邪でもひいては居りませんか。自分は仕事は忙しくすごしてをります。前のたよりにもかきましたが、自分の班の班長はとても厳しい人なので、怒られてばかりいます。お国のために大事な軍艦をつくる仕事ですが、ときどきうちが恋しくなります。姉さんはじやうずにパンをつくれるやうになりましたか。休みがとれたら、きっと銀座へ行きませうね。映画をみませう。また手紙をかきます。サヨナラ 勝男」
小説が書かれた時からさらに15年経っているから、もう75年も昔の青年労働者たち。労働者としての人権が認められていなかった。それは無論不幸なことだが、では現在はどうなのか。青年労働者の労働環境は抜本的に改善されたのか。けっしてそうではあるまい。この状態をほっておくとまたもや戦争の時代に、なんてことになる危険はないのかな。心配になってきた。