戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)

爆風(92) 18/06/02

明日へのうたより転載

12、錦州錦西葫蘆島収容所に滞在中は医療班長は主力を防疫患者発見及其処理手続、死者処理手続、清掃指導、保健生活指導に置き診療は簡易なる処理投薬をなし複雑なる治療は其他に於ける日僑総処事務所所属医療機関に委託若しくは協力を求めること。

13、船内に於いては医療班は唯一の衛生機関なるにより全力を挙げて患者発見並に其処置保健生活指導に任ずる。

14、遼陽総站錦州、錦西葫蘆島に於ける保健機関は次の如くなるに付き之と緊密なる連絡を保つこと。
遼陽総站=防疫診療所 錦州=辨事処衛生班医療隊 錦西=同左 葫蘆島=辨事処衛生科医療隊防疫隊

15、救急箱は中国の寛大な(1字不明)ひにより認許されたものにして時価約6,000円の薬物を納めあるに付き其管理保存投薬方法には慎重且つ厳格を期すべく若し内地港到着後残余品あらば船中に留め置くこと。

 この事務室通達を見ると、伝染病患者及び「普通旅行に耐えざる者」はそもそも引揚者から除外され、また途中で病気や怪我をしたら置いていかれることになる。何としても健康でなければならない。集団の足手まといになってもいけない。年寄りや幼児といえども自力でがんばるしかない。

 引揚げ時の戸塚家の構成は戸塚陽太郎(40)、せん(37)、和子(13)、章介(9)、栄子(5)、順子(生後2か月)の6人。父と姉はリュックサック、母は赤ん坊を背負い、私は2月に死んだ妹悦子の遺骨の箱を白い布に包んで首から下げた。栄子は隊の移動に遅れないよう自分の身を処するのに精一杯だ。

 桜ヶ丘部隊の出発は46年6月26日に第一大隊と第二大隊、翌27日に第三大隊と第四大隊の予定だった。6月26日は穏やかな晴天で予定通りに出発したが、27日は朝から大雨、出発は28日に延期された。戸塚家が所属していた第三大隊は出発の準備を整えてじっと天気恢復を待った。

 28日は快晴。まず満鉄遼陽駅からの引き込み線の太子河無人駅まで約2キロの道のりを歩く。迎えの無蓋貨車に乗り込んで、夜を徹して走る。途中停車してしまい、このままこの地で野宿かと心細い思いをしながら、それでも29日午後3時には引揚げ港のある錦州錦西駅に着いた。