戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)

メディアはイラク日報の中味に迫れ 18/04/14

明日へのうたより転載

 「存在しない」と言っていた陸上自衛隊のイラク派兵の日報が見つかった。小野寺五典防衛相は「見つかったのは3月末」と説明したが、実は1年前にその存在は確認されていた。何故発表しなかったのか。「調べろと言われたのは南スーダンだったのでイラクは関係ないと思った」と言い訳するが、実はこのイラク日報の中に公表したくないことがあったのではないか。東京新聞の半田滋記者はそう指摘する。

 ネットメディア「現代ビジネス」(4月7日配信)で半田記者は、自衛隊派遣当時知らされなかったサマワでの実態について次のように告発する。

 「陸上自衛隊が派遣されたイラクは『停戦の合意』がなければ派遣できないPKOとは異なり、米軍と武装勢力が戦闘を続ける『戦地』だった。巻き込まれることがないよう政府は派遣先を『非戦闘地域』とし、隊員600人をイラク南部のサマワ市に送り込んだ。『非戦闘地域』だったにもかかわらず、2004年1月から06年7月までの2年半の派遣期間中に、13回22発のロケット弾が陸上自衛隊のサマワ宿営地に向けて発射された。うち3発は宿営地内に落下、1発はコンテナを突き破っている。不発弾で炸裂はしなかったものの、常に隊員は命の危険にさらされていたことになる」。

 「2005年6月23日には、前後を軽装甲機動車で護衛された高機動車2台の自衛隊車列がサマワ市を走行中に、道路右側の遠隔操作爆弾が破裂した。高機動車1両のフロントガラスにひびが入り、ドアが破損した。爆発直後に、軽装甲機動車の警備隊員らが車載の5.56ミリ機関銃を操作して弾倉から実弾を銃に送り込み、発射態勢を整えた」「犯人が銃などで襲撃すれば、撃ち合いになった可能性がある」。

 「イラクに派遣された陸上自衛隊5600人のうち、15年6月までに自殺した隊員は21人にのぼる。派遣に際し、精神面で問題がないことを確認し、活動期間もPKOの半分の3ヵ月と短かったにもかかわらず、彼らは在職中に自ら命を絶った」「防衛相は自殺者の階級、任務、原因などの一切を『プライバシーの保護』を理由に公表していない」。

 今回の日報隠しに対してメディアは、防衛官僚の責任とか文民統制の危機とかの観点でしか報じていないが、重要なのは日報の中味である。半田さんは「今回見つかった日報は408日分、1万4000ページに及ぶ。内容はまだ発表されていないが、この中に、このような自衛隊攻撃の全貌や隊員の自殺につながる事案が記載されている可能性がある」と指摘する。それを追求するのがメディアの責務だと思う。