戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)

爆風(71) 18/04/11

明日へのうたより転載

5 引き揚げ=遣返
 「引き揚げ」は中国語では「遣返」である。元のところへ戻すという意味だ。日本人居留民は「日僑」と呼ばれた。他国に仮住まいする日本人というわけだ。

 山海関方面から進攻した国民政府軍が錦州を経て奉天に向かう。奉天で南北に分かれて南を目指す部隊が遼陽に到着したのが3月20日。その日のうちに旧火工廠にも進駐してきた。八路軍の廠長秘書だった松野徹は国府軍の進駐についてこんな感想を述べている。

 《3月18日、八路軍が姿を消したと思ったらたちまち国府軍がやってきた。何のことはない、同じ軍隊の第一師団が第二師団と交代したようなもの。長い間敵対してきた国民党と共産党が遼陽郊外で2、3発撃ちあっただけですんなり入れ替わった。我々には想像ができない交代劇だ》。

 松野が数日ぼんやり過ごしていると、遼陽駐屯国民党本部から名指しで出頭命令がきた。八路軍時代に酷い目に遭った松野は、今度は表に出ないで潜んでいようと思ったのだが隠れきれない。責任者の吹野信平ら数人の居留民会幹部の一員として旧満州国政府の建てた遼陽県公舎に出向いた。

 公舎には金ぴかの肩章をつけた将軍が待っていて笑顔で応対。吹野たち一行に対して「君たちの工廠は今後、我が軍の東北火薬廠として再開する。ぜひ君たちに協力してもらいたい」と懇請し、工場長だの技術課長だのと書いて印を捺した立派な紙を渡された。松野も火薬廠庶務課長の辞令を受けた。蒋介石に率いられた国民政府は、日本が進出した満州南部の工業地帯をそのまま残して建国の基礎にしようと考えた。そのためには日本人技術者に残留してもらわなければならない。それを「留用」と称した。

 金ぴか将軍の意図は、吹野や松野に留用者として残れということだ。松野たちは《どうせ日本は負けたんだ。内地はアメリカに占領されて彼らの言うなりになっていることだろう。満州、朝鮮、台湾、樺太より引き揚げさせられた日本人は、内地の四つの島に押し込められて中々生活も難しかろう。こうして留用されるのも後に再び中国に進出するための布石となるのではないか》と話し合った。

 そして《我々はその捨て石になろうではないか。国民党のために働こう》との決意に達した。留用者は吹野、松野らの幹部だけに限らず、技術者、医療関係者など数百人規模になる。それらの人たちのその後については別項で詳述することにする。ここでは筆者一家を含めた一般居留民の引き揚げに話を戻す。