戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)

爆風(65) 18/03/26

明日へのうたより転載

 夜になって20代後半とおぼしき青白い青年が現れた。彼は自らを遼陽駐屯八路軍司令部第一書記と名乗った。「貴殿は松野さんか」と優しい言葉つきだ。「はい松野です」と答えると「貴殿は共産党をどう思うか」といきなり難しい質問をしてくる。松野はどう答えるか迷った。ここはやはり穏やかに出た方がよかろうと思い、「これまで共産党は悪いと教育され、そう思っていました。敗戦後中国共産党の皆さんに接し、いろいろ見聞したので考えが変わりました」と述べた。

 「どう変わったのか」「まだはっきりしません。これから勉強します」「ほう、それでは君は我々の同志だ」と青年は握手を求めた。「そこで君に頼みがある」。《さあ、来たぞ》と松野は身構えた。「火工廠には沢山の武器が隠匿していると聞く。私にその場所を教えてほしい」。松野はまたその話かとうんざりする。何度説明すれば気が済むのだ。武器なんか本当にないのだ。

 しかし松野は一方で《これは真実を分かってもらえるチャンスかも知れない》とも思った。これまでの下っ端役職でなく、今度の第一書記はしかるべき地位の人物らしい。ここは丁寧に説明した方がいいだろう。「我々は戦闘員でなく、単なる火薬製造工場の従業員なのです。火工廠には製品としての爆薬は数十トンありましたが、武器と称するものは工場警備用の小銃140挺だけで、それもすべて貴軍に提出しました」。

 「そんなことはない。われわれはちゃんと調べたのだ。正直に言え」と第一書記の青年はがらりと態度を変えて居丈高になった。「嘘をつくな」「ないものはない」と言い合いになる。第一書記は隣室から体格のいい兵士を呼び「この男を鞭で叩け」と命じた。松野が兵士を見ると向こうもおやっという顔。敗戦前工場で働いていた工員である。兵士はたじろいだ様子。そこで松野が「私たちももう一度武器が隠されていないか調べる。貴方の方でも調べてほしい。もし本当に武器が隠されていたら私を銃殺にしてもよろしい」と頭を下げると、「この男を監房に入れろ」と兵士に命じてさっさと部屋を出て行ってしまった。

 興農合作社の一室での監禁生活が始まった。国府中央軍の捕虜と数人の日本人が同室だった。松野はこんな扱いを受けるのがどうしても納得いかなかった。《武器は本当にないのだ。おれはなにも悪いことはしていない。中国人を殴ったり、私腹を肥やしたりしたこともない。火工廠建設に当たり用地の接収をしたが、立ち退きを余儀なくされた農民の生活を案じ、彼らの要望を取り入れてできるだけの対策を講じた。工場敷地内の居住者の子弟に、寺子屋式ではあるが小学校を建て、先生を1人雇って教育を施した。これに感謝して県知事が礼を言いに来たくらいだ。火工廠敷地内ではあるが当面使用しない土地は、農民に耕作を許した。小屋も建てさせた。収穫物はきちんとした値段で買い取った。だから彼らにとっては嬉しくない火工廠の進出だったかもしれないが、おれ個人としては礼の一つも言ってほしい気持ちだ》。

 この松野のぼやきは火工廠幹部に共通していたと思われる。筆者に言わせればこれこそが「侵略者・支配者の論理」そのもので、21世紀の日本・沖縄でもそのまま通用しているのだ。