戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)

爆風(58) 18/03/14

明日へのうたより転載

 八路軍に編入された元日本兵について火工廠の人たちはどのような目で見ていたのか。唐戸屯工場の辻薦は次のように証言している。

 辻薦の証言。《八路軍が火工廠を接収してから間もなく、年の瀬に入ってから、唐戸屯の山本町の一角に八路軍の軍服を着た日本人らしい一隊が宿泊するようになった。私たちはそれを〝日系八路〟と呼んだ。この一隊は、表立っての行動は何もしない不気味な存在だった。この日系八路の大半は捕虜になった後洗脳された航空少年隊上がりだと分かった。他は満州各地の刑務所に入っていて、ソ連軍や八路軍に開放された人たちだといわれる。政治犯だけでなく一般刑事犯も含まれていた。

 彼らに八路軍から与えられた任務は日本人社会の内情を探ることだった。ソ連軍支配下では明るみに出ることのなかった火工廠の内情が彼らの執拗な探索によって次第に明らかにされ、八路軍幹部に報告された。特に目を付けたのは、終戦直後の日本人将校の動向、火工廠内の武器や重要物資の行方、民会幹部の思想的相克などで、その調査方法は陰気で執拗を極めた。

 日系八路の調査は年を越して46年2月頃まで続いた。八路軍幹部は彼らの報告によって、火工廠にひそかに潜入して反共工作をする国府軍の密偵の存在を掴んだ。同時に当時満州各地で起こっていた日本人による反共暴動、特に通化事件のような動きが火工廠内部にもあるのではないかという疑念を抱くに至った。また表に出なかった「事実」を明るみに出すことによって、日本人社会がそれまで保ってきた団結に楔が打ち込まれ、お互い疑心暗鬼になるもとにもなった》。

 ここで2月3日に起こった「通化事件」について触れることにする。
 通化市は朝鮮国境に近い交通の要所。関東軍はソ連参戦を想定して新京の総司令部を通化に移し、対ソ戦の指揮を執る計画だったが、敗戦で計画は潰れ関東軍は崩壊した。日本敗戦時は国民政府の統治下に入ったが、9月22日、東北民主連軍(八路軍)の攻撃で国民政府軍は駆逐され八路軍の統治となった。通化にはもともと1万7000人の日本居留民がいたが、敗戦で10万人以上の避難民が流入し、市内は日本人で膨れ上がっていた。

 12月10日、通化の飛行場に日章旗を付けた飛行機が編成を組んで飛来した。林弥一郎少佐率いる関東軍第二航空軍第四錬成飛行隊で、一式戦闘機「隼」、九九式高等練習機を擁していた。隊員は300人以上で、全員が旧帝国陸軍の軍服を着用、階級章、軍刀を下げている。飛行機と同時に木村大尉率いる戦車隊30人も到着。日本人居留民は歓喜して出迎えた。

 しかし既に、日本は戦争に負け、関東軍は崩壊している。これらの飛行隊、戦車隊が日本軍隊であるはずはない。実体は東北民主連軍に編入された八路軍の日本人部隊であった。にもかかわらずこの飛行隊、戦車隊の来訪を機に、《旧関東軍が国民政府軍と組んで八路軍を追い出す》というデマが囁かれ、あっという間に居留民全体に広がった。日本人だけでなく中華民国系の中国人も噂を信じて浮き立った。