戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)

爆風(57) 18/03/11

明日へのうたより転載

 八路軍の進駐で「廠長秘書」の役を任命された松野徹は、45年冬のある朝廠長室に出勤すると、蘇文廠長から「将校が保持している全ての刀を至急提出させよ」との厳命を受けた。命令には逆らえないのでその旨伝達する。将校の中には「私の持っているのは指揮用の軍刀でなく備前長船の名刀だ。帰国時には返却してくれるのか」と問う者もいた。廠長は「好(ハオ)好」と承諾したが、集められた刀は荒縄でひと括りにして古鉄でも捨てるようにどこかへ持ち去られた。もちろん一刀も返されていない。

 「ちょっと来い」。ある日松野は八路軍から朴家溝部落の大きな農家に呼び出された。そこには八路軍でも幹部が着る立派な軍服の将校と十数人の兵隊がいた。将校が「当地に武器が隠されているという確かな情報があった。事実を話したまえ」と訊く。「そんなものはない。当工場及び周辺一帯に武器なんかは一切ない」と松野は怪しげな中国語で答える。なんだかんだと押し問答が続いた。

 「そんなことを言っても駄目だよ」と突然乱暴な日本語が飛んできた。声の方を見る。八路軍の恰好をしているが明らかに日本人だ。「我々はちゃんとした証拠があって来たんだ。本当のことを言ったらどうだ」と松野の説得にかかる。「何を言うか。証拠があるならさっさと見せろ」と松野が反論すると「俺はな、戦争中関東軍参謀から聞いたんだよ。遼陽の東の山の中に向こう十年間戦争しても大丈夫なくらいの武器弾薬を隠してある、とな。お前、正直に自白して武器のあり場所を言え。悪いようにはしない」と元日本軍兵士はなおもしつっこい。

 松野は「馬鹿なことを言うな。そんな参謀の言うことは嘘っぱちだ」と語気を強める。「そんなに武器があるなら現地召集の兵隊になんで鉄砲一丁渡さなかったんだ。彼らは素手で戦ったんだぞ。参謀の言うことなどコケ脅かしの大法螺だよ。大体日本は無条件降伏したんだ。ポツダム宣言を受諾し、連合軍の裁きを受けているんだ。武器を隠して何になる。どこでどうやって使うと言うんだ」。

 「お前たちは服従のふりをして中国人民に反抗の機会を狙っている。油断がならない」と八路軍の日本人兵士はなおも理屈をこねる。「いい加減にしろ。くだらぬことを言うな。変なデマを流し、中国の人たちを惑わし、迷惑をかけるべきでない」。松野はきっぱり諭した。それまで黙って聞いていたが、八路軍の将校はどうやら日本語が解っていたらしい。「よく分かった。松野の言う方が本当だ。何だこ奴、出鱈目を言いやがって」と件の日本人を叱って、一隊は朴家溝から引き揚げていった。