戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)

「成果」を餌に「死ぬまで働け」 18/03/08

明日へのうたより転載

 ずさんデータで裁量労働制拡大は削除、次に残業代ゼロ(高プロ)法案が野党の攻撃の的になっている。この二つは労働者を働かせるに当たって、時間管理から成果管理に移そうとするものだとおれは指摘してきた。しかしよく考えれば「この二つは別でなく一つの搾取システムではないか。成果管理は究極の時間管理なのではないか」と思い当たった。そこで遅ればせながら「労働時間」に関する学習をする気になった。(教科書は宮前忠夫「マルクスとエンゲルスの労働組合論」。引用は孫引きである)。

 宮前氏は「労働時間は価値の実体そのものであり、賃金の本質である『労働力の価値』、生産一般、剰余価値生産、搾取の強度と搾取率と直結している。それが労働者の労働現場での一挙手一投足、一秒一秒が物を言う、また資本によって厳格に管理される理由でもある。それだけに職場の労働時間制度、労働時間の法律による制限をめぐる労使間の対立は、一般的には、賃金問題よりも烈しい場合が多い」という。

 なるほど分かりやすい。そこでマルクスだが「労働力の究極的限界」として「労働時間の長さ」をあげる。
 「労働力の価値あるいは労働の価値を、他のすべての商品の価値と区別するいくつかの特徴がある。労働力の価値は二つの要素――一つは単に生理的要素、もう一つは歴史的あるいは社会的要素――によって形成されている。労働力の価値の究極的限界は、生理的要素によって決定される。

 つまり、労働者階級は、自分自身を維持し再生産し、その自然人類的存在を永続させるために、生存と繁殖に絶対不可欠な生活必需品を受け取らなければならない。したがって、これらの生活必需品の価値が、労働力の価値の究極的な限界となるのである。

 他方で労働日の長さもまた、究極的な諸限界――きわめて弾力性に富んだ諸限界ではあるが――によって制限されている。労働者の生命力の1日当たりの消耗が、ある一定の程度を越えるなら、労働者の生命力は日々新たに使用することができなくなる」(「賃金、価格、利潤」)と指摘する。現在でも労働時間が「過労死」問題と併せて議論される所以である、とおれは思う。

 経営者は、成果主義とか能力主義とかいろんな理屈をこねるが、本音のところでは生理的要素の限界、究極的な諸限界まで労働者を働かせるようと企んでいる。成果は労働時間が長いほど確実に上がる。裁量労働も「高プロ」労働も、労働者が進んで長時間働くように仕向けることを狙った搾取システムに過ぎない。「成果」を餌に死ぬまで働かせようという魂胆なのだ。