戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)

爆風(52) 18/02/26

明日へのうたより転載

 八路軍統治下の初冬のある日、突然遼陽の変電所からの送電が止まってしまった。火工廠電気掛の鴨沢弘は《これは重大な死活問題だ》と深刻に受け止めた。電気が止まれば水道も暖房用の蒸気もストップだ。状況はよく分からないが、一刻も早く送電を再開してもらわなければならない。部下の森青年を伴って、八路軍が管理する遼陽の変電所に向かうことにた。車がないので歩かなければならない。

 唐戸屯を出て太子河を渡る。朝もやが河に立ちこめている。川の中州まで来ると対岸の土手の上に中国人兵士の集団が見えた。彼らに捕まって取り調べられるとやっかいなことになると思い、草むらに身をひそめながら進んだ。やっと土手の上に辿り着いたと思ったらばらばらと現れた中国兵に囲まれた。

 銃口を向けられて鴨沢たちは思わず両手を上げた。身体検査をされて彼らの部隊の本部に連行される。幹部らしい将校の訊問。鴨沢は「川の向こうにたくさんの日本人がいる。電気が止まると生きていけない。送電再開をお願いに行くところだ」と丁寧に説明した。将校は鴨沢たちの意図を理解したらしく、兵士に命じて遼陽の満州電業まで連れて行ってくれた。

 満州電業の遼陽変電所は八路軍に接収され、中国人だけで運営していた。幸い鴨沢は中国人の所長に会うことができた。「数千人の命がかかっている」と実情を訴え、送電再開を懇請する。所長は願いを聞き入れて送電のスイッチを入れるよう係に命じた。すぐさま唐戸屯と連絡を取ると、無事電気が送られてきたとのこと。鴨沢と森の2人は大任を果たした安堵で緊張が解け、とたんに猛烈な空腹感に襲われた。

 厳しい満州の冬を越すには暖房用蒸気の確保が必至である。庶務係の小野伴作は、唐戸屯と東京陵に暖房用石炭を備蓄することに力を入れた。蒸気は工場内の巨大タンクでつくられる。タンクへの給水や燃料の給炭は停電になると止まってしまう。そこで停電対策として非常用給水タンクの設置、手動の給炭装置も備えた。家庭でできる非常時の暖房対策として炬燵作戦も奨励された。炬燵のやぐらに40wの裸電球を下げるというもの。各家庭で実行されたのか知らないが筆者の記憶にはない。

 水もいつ断たれるかね分からない。節水の通達が隣組を通じて回された。①朝、顔を洗わない、②便所に行っても手を洗わない、③食べ物を洗った水で食器を洗う、④身体を拭いた水で洗濯をする、⑤洗濯をした水で水洗便所を流す。わが家もそうだが、どこの家でも、誰も不平を言わず従った。

 なお汽缶工場は住民の生命線なので火工廠の重要業務だった。大量の水や石炭を扱うきつい労働である。筆者の父戸塚陽太郎など下っ端軍属がそこで働いた。