戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)

爆風(43) 18/01/31

明日へのうたより転載

 松風寮の加々路仁は、8.25のような混乱が生じるのは部隊に情報が少なく周囲から孤立しているせいだと思った。関東軍火工廠は満州918部隊に属し、部隊司令部は文官屯にある。そこへ行けば情報が得られるに違いない。早速林光道部隊長の許可を得て、トラックでまず遼陽へ行き列車で奉天へ向かった。同行のK青年と2人、満人服を着て三角の編み笠を被る。どこから見ても満人と区別がつかない。

 遼陽から奉天へ、客車に乗れた。周りは満人だけ。ソ連兵が見回りにきた。満人に密告されるかと怖れたがそんなこともなく奉天についた。ここから文官屯までは歩かなければならない。2人だと目立つので文官屯で落ち合うことにして別行動をとる。文官屯は奉天の郊外で屯(村)というより賑やかな町だ。

 裏通りでソ連兵と満人が何やら取引しているのを目にした。構わず歩いているといきなり突き飛ばされて足で蹴られた。加々路は逃げるにしかずと駆けだしたが追いかけてはこなかった。途中八路軍の検問に引っかかったが何も持っていないので無事通過。まだ日の高いうちに文官屯官舎に着いた。

 将校寮に直行すると同期の菅根大尉や山田中尉がいて歓迎された。火工廠の8.25の玉砕騒ぎがこちらにも伝わっているらしく「大変でしたね」と労われた。奉天市内の状況は思った以上に過酷で、毎日死人が出ているそうだ。新京の様子はここでも掴めていない。連絡が取れないという。

 加々路は情報収集にはどうしても新京へ行かなければならないと決断した。ちょうどそこへ大連から松本百公が帰ってきた。松本はロシア語、中国語が堪能である。加々路が新京への動向を頼んだところ快く承知してくれた。10月初め、ソ連の軍用列車を乗り継いで2日がかりで新京に着いた、

 新京には田島さんという竹村正大尉の奥さんの実家がある。訪問するとわざわざ遼陽から来てくれたと大歓迎された。竹村大尉の無事を伝え、関東軍司令部や居留民会へ行って話を聞きたいと述べた。民会については丁寧な現況説明があったが、司令部の動向は分からないという。主力は朝鮮国境の通化へ行ったようだが、残った軍人はソ連の捕虜収容所に入れられている。連絡の仕様がない。

 加々路は何とかして捕虜収容所に潜りこむ方法はないかと考えた。ソ連軍が満鉄社員に優しいというので満鉄の制服を借りた。その上で兄が収容されているので野菜と肉を差し入れるということにする。失敗してももともと、当たって砕けろ、だ。空は青く晴れ渡っている。田島さんの激励を背に2人は出発した。