戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)

爆風(35) 18/01/08

明日へのうたより転載

 遼陽駐在のソ連軍司令官が浜本宗三大尉らの陳情に対し何故「連行免除」をすんなり認めたのか、というのが三つ目の疑問である。しかも浜本大尉は非戦闘員、つまり軍属の連行免除を求めたのに対して軍人・軍属全員の集結命令を取り消したのである。理由は「ハラキリ」を避けるというような単純なものでなく、もっと別のところにあったのではないか。そこで筆者はシベリヤ抑留について調べてみた。

 ソ連はそもそも以前から戦争で捕えた捕虜を労働力として働かせる方針をとってきた。ヨーロッパ戦線で捕虜になったドイツ兵やフランス兵が、終戦後も何万人とソ連領内で農地開拓などの労働に従事させられた。第二次世界大戦の戦後処理を話し合ったヤルタ会談でスターリンは、満州と千島列島への侵攻と捕虜の使役について米英首脳の了解を得たと言われている。

 日本とソ連の停戦会談は日本敗戦直後の8月19日、関東軍総司令官山田乙三大将と極東ソ連軍総司令官ワシレフスキー元帥の間で行われた。そこで関東軍将兵のシベリア連行の内諾があったと言われているがはっきりしない。後にシベリア抑留から帰国した元兵士が国としての責任を問う裁判を起こした際、関東軍の内諾の有無を迫ったが、結果的にはうやむやに終わった。

 山田ーワシレフスキー会談の5日後、8月23日には早くも関東軍将兵50万人がシベリア方面に輸送されている。関東軍火工廠の軍人、軍属に対する集結命令もその一環といえる。ただしソ連には満州侵攻のもう一つの目的があった。それは日本が満州国内に建設した、鉄道、工場、鉱山などの産業施設や生産物を接収し、ソ連内に搬出することだった。それには施設に詳しいの日本人の協力が不可欠だ。

 関東軍火工廠はその規模、生産力、生産物、どれをとってもソ連には宝の山だ。これを無傷で接収し、生産設備・生産資材・生産物等をソ連に搬出することは火工廠を管轄する遼陽のソ連軍司令官の最大任務だ。はじめは日本人の手を借りなくても接収できると思っていたが、浜本大尉の言うように日本人技師、技術者、工員などかいなければどうにもならない。

 浜本大尉の要請は軍属の連行免除だが、今まで工場運営に当たっていた将校がいなくなったら工場接収に支障をきたすのではないか。この際軍人も連行免除にして接収後改めてシベリアへ連行すればいい。これが連行免除のソ連側の計算だったと筆者は考えている。つまり免除でなく延期だったのではないかいうことである。