戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)

爆風(30) 17/12/26

明日へのうたより転載

 しばらくしたら産室から赤ん坊の泣き声がした。河合夫人が小さな男の子を抱いて出てきた。死の淵で新しい生命が誕生する。西村は神の加護を感じて聖書を取り出しそっと撫でた。男子誕生を祝して陸甲房の袁屯長から卵を籠に一山、韓家墳の緒文光屯長から野菜やまくわ瓜が届いた。

 翌日、佐々木、中村が戻ってきて、東京陵は平常に復したと言う。引き上げることにした。一行の滞在を快く世話してくれた湯さんに厚く礼を述べる。西村たち一行は馬車で、妻と赤ん坊は担架に乗せられて高凹を出発した。農民たちが交代で担架をかついでくれた。

 東京陵の自宅に着いてみると家中が荒らされていた。書籍以外は何も残っていない。書籍の間に何か隠されていると思ったのか、乱雑に放り出されている。とても住める状態ではない。どこがいいか探した末にやっと白百合寮に落ち着くことができた。

 吉林から命がけの逃避行でやっと東京陵に辿り着いた長友安中尉の妻いさ子は25日夕方、玉砕の決意を固めて子どもたちに言い含めた。「玉砕よ、他にないのよ。お父さんも、お母さんも一緒に死ぬんだからね。泣いたら笑われるよ。日本人は日本人らしく死ぬの。玉砕なの」。それは自分自身への言い聞かせでもあった。5歳の子は「お母さん、玉砕ってなあに、慰問演芸なの?」と聞くが答えられない。

 近所の政井中尉の奥さんが子ども2人を連れてきて「いよいよ来るところまで来ましたね」とニッコリ笑って家に上がり込んだ。子ども同士で遊び始めたがやはりしんみりしている。「あらすっかり夕飯を忘れていたわね」と母親たちに寄宿の女子挺身隊員も一緒になって食事の支度を始めた。

 お寿司をつくり、ありったけの缶詰、お菓子も広げて「さあ沢山お食べ」と子どもたちに。日頃は飛び付いて食べるのになかなか手が出ない。そこへ外出していた長友中尉が帰ってきて「とうとう駄目だった。これで内地へ帰る夢も生きる希望もなくなった。一緒に玉砕しよう。おれはもう覚悟はできている。お前はどうか」と聞く。「ええ、私だって生きることは諦めました」。

 長友中尉は大切にしていた双眼鏡を取り出して「この世の見収めだ。よく見ておけ」と子どもらに渡す。下の子たちは珍しがって双眼鏡に目を当てたが、13歳になる長女の恵子は手も触れない。何か考え込んでいる様子。いさ子は「恵子ちゃん」と呼んでしっかり抱きしめた。