戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)

爆風(28) 17/12/24

明日へのうたより転載

 東京陵郊外の朴家溝は関東軍火工廠の管轄地だが、野菜や穀物の栽培、豚の飼育をする満人の農家が散在している。火工廠第一工場に所属する西村秀夫中尉は、それらの農家の管理にあたっていた。25日朝、いつも通り管理事務所に出勤。10時頃部隊本部から電話で「10日分の食糧と防寒衣類を持ってロータリーへ集合せよ」と伝達された。西村は自宅に戻って、乾パンと衣類、地下足袋とそれに聖書を1冊リュックに詰めた。

 指定時間に集合場所へ行くと、酒を飲んで喚いている人や空き瓶を投げる人もいて殺気立った雰囲気だ。あきれて眺めていると経理の山上中尉が寄ってきて「このままではシベリアへ連れて行かれる。脱走しよう」と言う。家族のためにもそれがいいだろうと考え、同意した。

 西村中尉は《この場から逃げ出すにしても林部隊長には話しておいた方がいいのではないか》と思いつき、部隊長宅を訪れた。部隊長は外出の用意中だったが顔を出し「よかろうが、他の人たちに動揺を与えないようにしたまえ」とそっけなく答えた。

 自宅に戻った西村は家族に手伝わせて家財道具や食糧を荷物にまとめ、逃げるための馬車の手配をした。終わったらもう夕方である。部隊のその後の様子はどうなっているか。心配なので懇意にしている浜本宗三大尉に電話した。「集合はしたがシベリア行きに疑問が出てまとまらない。部隊長が連行延期の懇請のため遼陽のソ連軍司令官に会いにいったが、留守で会えずに戻ってきた。部隊長は全員玉砕を考えておられる」。《戦争は終わったのに、何が玉砕なんだ》と西村は電話口で思ったが口には出さなかった。

 そこへ柳尚雄中尉から電話があり「希望者のみ国民学校に集まり自決することになった。部隊長が用があると言っておられる。電話してほしい」とのこと。西村は《死神にとりつかれた人たちにお付き合いをするなんてまっぴらごめんだ》と柳中尉の取り次ぎを無視した。

 こうなったら早いとこ逃げ出す算段をした方がいい。農場管理事務所に同僚の佐々木文麿、中村満を呼んで相談、脱出先を日頃親しくしている満人部落に決める。日が暮れて暗くなった。農場管理事務所の所員、家族が続々集まってくる。噂を聞いて他の部署の人たちも「お願いします」とやってきた。