戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)

爆風(26) 17/12/20

明日へのうたより転載

 敷島町の西村仙吉町会長は、家族を学校へやり自身は自宅で爆発を待っていた。隣近所で火災が起こる。予告の時間が過ぎても爆発の気配はない。そのうち玉砕中止の電話連絡があった。すぐ隣家の消火作業にあたる。他の火災も大方消し止められたようだ。敷島町は平穏に朝を迎えた。

 国民学校へ爆薬を運んだ坂本吉次は一家で逃避行の途中、玉砕中止を知らされた。回れ右して自宅へ引き返すことにする。玉砕は中止になったが多くの犠牲者が出たことが分かった。娘の同級生が親に青酸カリを飲まされ幼い命を落としたのもその1人。坂本はやるせない気持ちで妻と娘を抱いた。

 林光道部隊長の爆薬点火命令を柳尚雄中尉とともに拒否した稲月光中尉は、軍人としての自分の行動に頷き難いものを感じていた。玉砕中止の後病院へ行き、信頼する岡野軍医大尉に気持ちをぶつけた。岡野は話を聞くと無言で一升瓶の栓を抜き、夜の明けるまで酒を酌み交わした。

 電話交換所に詰めていた工務部電話班の上川生夫班長は、玉砕中止を知らされた午前1時頃、寝たきりの病妻と子どもたちが気になって自宅へ向かった。道々大きな荷物を背負った人や、満人の馬車で家財道具を運ぶ人などとすれ違った。玉砕中止の報がまだ行きわたっていないようだ。

 家に帰り家族の無事を確かめ唐戸屯へ向かう。箱根峠の守衛詰め所に20人ほどの避難民が固まっている。玉砕中止を知らせるとホッとした顔で自宅へ引き返した。唐戸屯の住宅地に入る。焼け落ちた家の前で呆然自失の人、くすぶる家財で死んだ家族を荼毘にふす人など悲惨な光景が見られた。

 どんな混乱時でも電気、水道、電話などのライフラインを止めてはならない。電気掛の小野伴作技手は、35日早朝からの異常事態に関わらず平常通りの供給を保つため全力を挙げた。電気班の岡田班長、電話班の上川班長、給水班の小林班長らと共同して、大きな停電、断水の事故もなく混乱を乗り切った。

 小野技手は玉砕中止の知らせで弥生町の自宅に戻ったが、周辺では目を覆う悲惨な光景が見られた。青酸カリを飲ませたわが子を胸に抱きしめている母親、家族を日本刀で殺し自分も腹を切ろうとする男、母と娘が青酸カリを溶かしたコップを前に手を合わせている姿もあった。それらの人々に玉砕中止を知らせ死を思いとどまらせる。どこへ怒りをぶつければいいのか。小野技手は漆黒の空を仰いだ。