戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)

爆風(22) 17/12/8

明日へのうたより転載

 8月25日午前、独身で東亜寮居住の稲月光中尉は唐戸屯の部隊本部で勤務していた。そこへ男子全員集合の命令が来る。稲月中尉はバスで東京陵の東亜寮に戻り、衣類や食糧をリュックに詰め玄関に行く。そこに数人の将校がいて、ビールの栓を抜いて乾杯だという。何のための乾杯か分からないけれど、冷えたビールは美味い。コップのビールを飲み干してみんなでロータリーへ向かった。

 ロータリーに着くと既に海城行きは中止になっていて、集団が散り始めている。唐戸屯へ戻ろうとバスの停留所へ。そこへ近くの消防署から人が走ってきて、部隊本部から電話があり、唐戸屯との中間地点にある変電所付近に盗賊が現れたので至急応援を頼む、とのこと。すぐ消防車に数人が乗り込み現地に向かう。賊は消防車を見て散り散りに逃げていった。深追いはせずそのまま唐戸屯に行き消防車を降りた。

 夕方になって稲月中尉は唐戸屯部隊本部を出て、加々路塾長や加藤治久大尉のいる松風寮を訪れた。加藤大尉が待ち構えていて「二つのお願いがあるのだが」と切り出した。「一つはこれからすぐ吹野信平少佐の夫人と母堂を官舎から東京陵病院へ送り届けること。二つは玉砕のため国民学校に積んである爆薬の導火線の火付け役になること。これは林部隊長の指名だ」。一つ目はいいとして、第二の依頼は気が重い。しかし部隊長の指名とあっては断れない。

 病院へ行く手ごろな車がないので苦労したが、工事請負の清水組のトラックがやっと見つかった。朝鮮人の運転手に手当をはずんで承諾させ、吹野夫人と母堂を助手席に乗せる。自分は荷台に乗って夕暮れの中を東京陵へ向かった。病院まで2人を無事送り届け稲月中尉がほっとしていると、突然車ごと数人の将校に囲まれた。このトラックを貸して欲しいと言う。運転手と相談の末承諾した。稲月中尉はすぐ近くにある国民学校へ足取り重く歩いた。玉砕について加藤大尉は詳しいことを言わなかった。どうしてそういう成り行きになったのだろう。しかも自分が集団爆死の火付け役となるとは。

 また少し時間が遡る。病院での緊急将校会議では何の打開策も見出せなかったが、川原鳳策少尉はなおも玉砕回避の道を模索していた。そこへ飛び込んできたのが、唐戸屯の加々路松風塾長からの情報である。ソ連軍司令部との間にまだ交渉の余地が残されている。最後まで努力を尽くすべきではないか。ソ連軍との交渉には勇気と決断力が試される。最適なのは浜本宗三大尉しかいない。川原少尉は決断した。