戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)

爆風(19) 17/11/29

明日へのうたより転載

 酔いの醒めた小林隆助は戸塚陽太郎ら庶務科警備の同僚とともに、あちこちが発生する火事の消火に奔走していた。小林家の食卓には、いざという時に服用する青酸カリのカプセルとサイダ―、カルピスの瓶が並んでいる。私たち貴重品のサイダ―やカルピスに目を奪われて、母親に早く飲ませろとせがんだがもちろん拒否された。このようにして、玉砕へ向けて時は一刻一刻進んでいった。

 国民学校2年生担任の鈴木久子先生は、朝日町の官舎で母親と兄夫婦、その長男の邦昭、預かっている挺身隊員の栗原松江、萩原愛子の7人で8月25日を迎えた。朝食後に町内会を通じて「男性は全員ロータリーに集結すること」との伝達を受ける。兄は冬用の衣類と食糧を持って出かけた。兄が出て行くと急に心細くなった。《東京陵はこれからどうなるのだろう。電気も水道も止まり、無防備になった町はソ連軍の進駐より先に、満人の暴徒に襲われるに違いない。しかしこちらには青酸カリがある。いざとなったら飲めばいい。何も怖がることはない》。鈴木先生は居直りの気持ちに達し気が楽になった。

 午後1時頃、道路が男達の声で騒がしくなった。遼陽へ向けて出発したはずの兄が帰ってきて「男たちがいなくなって家族を死地へ放り出すより、みんな一緒に死のうということになった」と言う。久子は《もちろんその方がいいに決まっている》と思った。

 夕方になると「国民学校に火薬を積んで玉砕する。行動を共にする者は9時に半鐘を鳴らすのでそれを合図に集合すること」との指示が町内会から伝達された。挺身隊員の栗原、萩原の両名から「一緒に学校へ連れて行ってください」と頼まれた。甥の邦昭は生後46日、兄嫁はしっかり抱きしめて頬ずりしている。母は薄化粧をして和服に着替えた。久子はいつもの教師の服装で学校へ行くことにした。

 そこへ同じ朝日町に住む軍属の猪野が来て久子の母に「うちの家内が恥ずかしくない最後を迎えられるようご指導ください」と頭を下げた。本人は部隊の任務があって奥さんと同道できないという。久子の母は目に涙を浮かべながら引き受けた。午後7時、今まで大事にとっておいた配給のカニ缶を開け、畑のさつま芋を掘りだして食卓を飾り最後の宴とした。

 夕食が終わると町内の半鐘が鳴る中を一同揃って学校へ向かった。月が煌々と照らす道に学校を目指す流れができている。逆に迫りくる死を逃れて東へ向かう流れもある。路上で生と死が交錯する。すれ違う際、知っている顔が見みえるとしばらく立ち止まって深々と無言で頭を下げ合った。