戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)

爆風(13) 17/11/13

明日へのうたより転載

 空しく引き返すことになった林光道部隊長は、車に揺られながら奈落の底に落ちて行く心境になった。そこで彼が行きついたのは《やはり死ぬしかない》という諦念だった。

 東京陵の広場はまだ町中の男たちで埋まっている。林部隊長は壇上に立ち、ざわめく群衆を前に「我々の遼陽行きは不首尾に終わった。関東軍918部隊は即時解散する。従って各自の行動は自由である。自分はソ連軍命令に違反した責任をとって今夜自決する。国民学校に火薬を積んで玉砕する。玉砕に加わるも可、どこかへ逃げるのも可、各人の自由である。これは命令ではない」と宣言した。

 この部隊長宣言を受けて夕方5時、病院の一室で幹部将校による緊急会議が持たれた。召集したのは川原凰策少尉、参集者は15人ほど。まず川原少尉が「部隊長は死ぬと言うが、詔勅には『耐え難きを耐え、忍び難きを忍び』とある。今どんなに苦しくとも、生き永らえて日本再興に尽くすことが我々の使命ではないか」と口火を切った。全員が頷いて同感の意を示した。

 ついで浜本宗三大尉から「遼陽のソ連軍司令官と再度交渉するよう部隊長を説得してはどうか」との提案があったが、「部隊長は死を覚悟しているからもう無理だろう」という結論になった。玉砕阻止に最後まで全力を尽くすということでは一致したが方策は見つからない。最後に「我々は死ぬにしても、女子挺身隊や勤労学徒は玉砕に巻きこませずに親元へ送り返す」ことを確認して6時半に散会した。

 将校会議に参加した第三工場の竹村正大尉は帰り路が浜本大尉と一緒だった。浜本はメンデルスゾーンの「バイオリン協奏曲」を口ずさみ、「死ぬとするか」と寂しくつぶやいた。竹村は官舎に帰り、預かっている3人の挺身隊員に「私たち家族は今夜24時に国民学校で爆死する。貴女方は唐戸屯へ逃げなさい」と食糧を持たせて外へ出した。竹村夫人は別室に入って晴れ着に着替え薄化粧をした。

 唐戸屯の第二工場長加藤治久大尉は、集合場所の唐戸屯本部に12時40分に着いた。本部前の広場には既に吹野信平少佐以下数十人が集まっている。吹野少佐より「13時になったら先発隊の指揮を執って出発し、東京陵の部隊と合流せよ」と命じられた。